12世紀の東南アジア アンコールワット建立

復習 13世紀の東南アジア

 13世紀は、モンゴルの世紀である。東南アジアも例外ではなかった。13世紀後半にモンゴル帝国は東南アジアへ侵攻。多くの国は撃退した。その後、多くの地域で王朝交代が起きた。

12世紀の国際情勢

 12世紀、日本は平安時代末期、政治の中心が貴族から武士に変わる時代である。

 東アジアでは金王朝と宋王朝(南宋)の南北朝時代に入る。ヨーロッパでは十字軍遠征が行われる。

アンコール朝の全盛期

アンコール朝

 アンコール朝は、9世紀に成立したカンボジアの王朝である。12世紀のスールヤヴァルマン2世の時代に全盛期を迎える。タイやミャンマーまで勢力を拡大させた。15世紀、タイのアユタヤ朝によって滅ぼされる。

カンボジアの歴史

 カンボジアは、東南アジアの半島部にある国である。メコン川の中流域で、港湾国家として栄えた。東にベトナム(南ベトナム)、西にタイに挟まれた国である。

 15世紀にアンコール朝が滅ぶと、都を東部のプノンペン二写し、西のタイや東のベトナムの属国になった。1860年代、フランスの植民地になる。第二次世界大戦後の1953年に独立し、現在に至る。

全盛期のアンコール朝

 アンコール朝は、スールヤヴァルマン2世が即位すると、全盛期を迎える。

 東では、チャンバー(南ベトナム)の都を奪う。西では、ミャンマーから属国のタイを奪った。

世界遺産 アンコール=ワット

 スールヤヴァルマン2世は、ミャンマーへの侵攻の際に、インドとの交流が盛んになった。その結果、スールヤヴァルマン2性は、ヒンドゥー教を信仰するようになった。

 この信仰心から建立されたのが世界遺産のアンコールワットである。

 12世紀末、ジャヤヴァルマン7世が即位。アンコールの町を整備。その王都はアンコール=トムと呼ばれた。ジャヤヴァルマン7世は、仏教を信仰。アンコール=ワットも仏教寺院になった。