1870年代の中国 清王朝 ロシアとウイグル

前回の復習 1880年代の中国

 19世紀後半の中国は、清王朝の時代。反乱や外国の勢力の進行で衰退傾向にある。1880年代は、清仏戦争でフランスに敗北。ベトナムの宗主権を失う。

1870年代の国際情勢

 日本は、明治時代。明治新政府は、廃藩置県を実施。西南戦争などの士族反乱が起きた。

 ヨーロッパの中心は、普仏戦争に勝利したドイツに変わった。ロシアが露土戦争に勝利すると、ドイツ宰相ビスマルクが国際会議ベルリン会議を招集。ベルリン条約を締結した。

ロシア帝国と新疆ウイグル

中央アジア

 現在、中国の西には、中央アジア諸国がある。その多くは、イスラム教を信仰している。これらの国々は、91年のソ連崩壊で独立した国である。

 中央アジアが、クローズアップしたのは、60年代である。アメリカで南北戦争が勃発。綿花の価格が暴騰。綿花の産地である中央アジアへの注目が高まった。

ロシア帝国、イリ地方を占領

 71年、イリ地方(現在は、新疆ウイグル自治区の一部)でイスラム教徒の反乱が発生。ロシア帝国は、この反乱に乗じて入地方を占領した。これがイリ事件である。

 当時のロシアは、イギリス(イギリス領インド)と中央アジアをめぐり、対立していた。

 清王朝は、75年にイリ地方へ軍隊を派遣。78年に、ロシア軍を撤退させた。

イリ条約

 78年、清王朝とロシアは、停戦後、新疆ウイグル地方の国境画定交渉に入った。79年、清王朝は、領土の一部を割譲する形で、イリ条約を締結。しかし、光緒帝はこれを批准せず。81年、イリ条約を改正して批准された。領土の割譲は撤回し、多額の賠償金を支払うことになった。

明治新政府との外交

日本の台湾出兵

日本と対等条約

琉球処分

ベトナムの植民地化

ポルトガル、マカオ領有

アメリカの門戸開放宣言

光緒帝の即位

摂政 西太后

李鴻章

同治帝の中興

光緒帝の即位

 清王朝皇帝の徳宗と西太后が死去。ラストエンペラーの溥儀が即位した。

康有為と変法