1880年代の中国 清王朝 清仏戦争でフランスに敗北

前回の復習 1890年代の中国

 1890年代、清王朝の末期。日清戦争で日本に敗北。朝鮮半島の宗主権を失う。

 その後、日清戦争の賠償金から、中国分割が始まる。

1880年代の国際情勢

 日本は、明治時代。伊藤博文が大日本帝国憲法制定に向かって活動していた時代である。

 ヨーロッパは、ビスマルクによる協調外交の時代。ベルリン=コンゴ会議をきっかけに、アフリカ分割が加速していく。

ロシア帝国と新疆ウイグル

新疆ウイグル

 新疆ウイグル自治区とは、イスラム教徒のウイグル人が生活している中華人民共和国の中の自治区の1つである。ウイグルは、8世紀に中央アジアに大帝国を築いた国で、その後にイスラム化が進んだ。

イリ条約

 81年、ロシア帝国は、新疆ウイグル自治区のイリ地方からの撤兵を決定した。その見返りに、ロシアへの賠償金と新疆ウイグル自治区の

清仏戦争

清仏戦争

 83年、フランスはベトナムを保護国化。これにより、黒旗軍という反乱軍が結成。西太后は、これに援軍を送った。これにより、始まったのが清仏戦争が始まる。

 85年、清王朝は、フランスに敗北。天津条約を締結。清王朝は、フランスがベトナムを保護国にすることを承認した。

日本と天津条約

 84年、清仏戦争が勃発。12月、朝鮮で金玉均らの親日派がクーデターを決行した。

 西太后は、朝鮮にも軍隊を派遣。クーデターを鎮圧。日本と天津条約を締結し、戦争を回避した。

ベトナムの植民地化

ポルトガル、マカオ領有

光緒帝の親政

摂政 西太后

 西太后は、前皇帝同治帝の母である。61年に、わずか6歳で同治帝が即位。このときに、西太后が同治帝をサポートした。

 73年、同治帝が成人したのを機に政治の世界を一旦離れる。しかし、翌74年に同治帝が急死。わずか4歳の光緒帝が即位。光緒帝の祖母として、西太后は再び政治に携わることになった。

李鴻章

 60年代、太平天国の乱で活躍したのが曽国藩や李鴻章などの漢人官僚たちである。彼らは、西太后のお陰で出世していった。

光緒帝の親政

 87年、光緒帝が成人。光緒帝の親政が始まる。90年代の日清戦争で主戦派の光緒帝と反戦派の西太后の対立が始まる。