7世紀のエジプト イスラム勢力の侵攻

8世紀のエジプト

 8世紀、中東はアラブ人によって統一されていた。8世紀初頭にはウマイヤ朝が成立した。しかし、8世紀半ばにアッバース革命が発生。アッバース朝が成立した。アッバース朝は、8世紀末に全盛期を迎え、13世紀まで続いた。

 7世紀の回は、前半で8世紀に滅亡したウマイヤ朝の歴史を見ていき、後半ではイスラム教の成立過程を見ていきます。

ウマイヤ朝と北アフリカ

6世紀の北アフリカ

 古代の北アフリカで重要な都市が2つある。エジプトのアレキサンドリアとチュニジアのカルタゴである。ここでは、カルタゴの歴史を着ていきます。

 カルタゴは、北アフリカの中央部に位置し、真北がイタリアである。そのため。この海域は狭く仲介交易において重要な拠点であった。

 カルタゴは紀元前9世紀末にフェニキア人によって建設された植民市であった。紀元前2世紀、ポエニ戦争で共和政ローマ(のちのローマ帝国)になった。5世紀にゲルマン民族のヴァンダル族が国家を建設。6世紀、ユスティアヌス帝が取り戻して、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)に戻った。

チュニジアの征服

 ウマイヤ朝は、東西に国土を拡大した。77年にチュニジアに軍事都市チュニスを建設。そして、97年チュニジアを征服した。

アフリカ北西部のイスラム化

 アフリカ北西部の主要な国に、モロッコ、アルジェリアとチュニジアがある。当時この地域は、マグリブ地方(太陽の沈む地域)と呼ばれていた。この地域に住む人々はベルベル人と呼ばれた。

 7世紀末に、チュニジアがウマイヤ朝(イスラム勢力)に征服された。この頃に、ベルベル人はイスラム教へ改宗するようになった。現在でもこの地域はイスラム教徒が多い。

ウマイヤ朝

概要

 ウマイヤ朝は、7世紀半ばに成立し、8世紀半ばのアッバース革命で滅亡したイスラム王朝である。

建国者 ムアーウィヤ

 ウマイヤ朝の建国者は、ウマイヤ家のムアーウィヤである。ムアーウィヤは、35年にシリア総督に就任。ビザンツ帝国侵攻の総司令官を務めた。

 ウマイヤ家は、クライシュ族の12氏族の一つである。クライシュ族とは、メッカを拠点にした大商人の一族である。ウマイヤ家のほかに、ムハンマドがいたハーシム家もあった。

ムアーウィヤとアリー

 正統カリフ時代。カリフはクライシュ族の12氏族から選ばれていた。44年、ウマイヤ家のウスマーンが3代目カリフに就任した。

 ウスマーンの時代に入ると、ウマルの死を受けて各地で反乱が頻発した。ウスマーンは、この反乱を鎮圧した。しかし、56年、下級軍人が反乱。ウスマーンが暗殺された。その跡を継いだのがハーシム家のアリーであった。

 ウマイヤ家のムアーウィヤはこれを認めず、60年に自らカリフを主張した。これにより、イスラム勢力は、ハーシム家のアリーとウマイヤ家のムアーウィヤで対立するようになった。

 61年、ハーシム家のアリーが暗殺。以後、ウマイヤ家がカリフを世襲するようになる。これがウマイヤ朝である。

スンニ派とシーア派

 その後、イスラム教はウマイヤ朝の存在を認めるスンニ派とウマイヤ朝のカリフを否定するシーア派に分裂した。ちなみにシーア派は、どこまでをムハンマドの正式な後継者として認めるかでさらに派閥は分裂する。

 スンニ派は、現在でもイスラム教の主流派である。その中心的存在は、メッカとメディナを保有するサウジアラビアである。

 一方、シーア派は、現在少数派である。その中心はイランである。サウジアラビアとイランの対立の裏には、スンニ派をシーア派の対立がある。

イスラム勢力のエジプト征服

エジプト征服

 34年、第2代カリフにウマルがウマルが即位。37年にカーディーシャの戦いでササン朝ペルシャを撃退。41年にエジプトを征服。翌42年ににはーファンドの戦いでササン朝(イラン)に勝利。これにより、ササン朝は滅亡した。44年に第2代カリフであるウマルはこの世を去った。

 イスラム勢力のエジプト征服は、軍事拡大を続けるウマルの時代に行われた。当時のエジプトは、ビザンツ帝国の支配下にあった。この地域は大穀倉地帯で、ビザンツ帝国の食生活はエジプトで支えられていた。

 41年、ウマルはエジプト侵攻を開始。後のカイロになる地域に軍事拠点を築いた。11月にエジプト最大の都市アレキサンドリアを包囲。エジプトを征服した。 この時、エジプトのキリスト教徒は弾圧をうけた。

シリア征服

 32年、預言者ムハンマドが亡くなる。イスラム教徒は、トップをカリフとしてイスラム教を守ろうとした。初代カリフになったのがムハンマドの義父であるアブー=バクルである。バクルは、すでに高齢であったため、次のカリフとしてウマルを指名。即位から2年後の34年にこの世を去った。

 シリア征服は、このアブー=バクルの時代に始まった。33年、アブー=バクルは、ビザンツ帝国領であったシリア・パレスチナへの侵攻を開始した。この信仰は、ウマルへ引き継がれ36年にシリア・パレスチナを征服した。

ササン朝のエジプト征服

 最後に、イスラム勢力の進出前のエジプトの様子を見ていきます。

 6世紀のエジプトは、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の支配下にあった。6世紀末のサーサーン朝で、ホスロー2世が即位。ビザンツ帝国領に侵入。シリア、パレスチナとエジプトを征服した。