12世紀のエジプト
12世紀のエジプト。サラディンがファーティマ朝を滅亡。アイユーブ朝を建国。エジプトは、ここからエジプトはスンニ派教育が始まる。サラディンは、第3回十字軍を撃退。
今回の11世紀のエジプト編では、アイユーブ朝の前の王朝ファーティマ朝の歴史を見ていきます。
ファーティマ朝とは?
中世エジプトの歴史の復習
私が考える中世は、7世紀のイスラム教の成立から15世紀の大航海時代までとしている。中世のエジプトは主に3つの時代に分けられる。
- 7世紀~ イスラム王朝の時代
- 10世紀~ エジプト王朝の時代
- 13世紀~ マムルーク朝の時代
現在は、エジプト王朝の時代である。10世紀に、ファーティマ朝がエジプトに侵入。12世紀に、サラディンがアイユーブ朝を建国。そして、13世紀にマムルーク朝が成立し、マムルークさの時代へ入っている。
第1回十字軍
十字軍は何故始まったのか?
十字軍は、なぜ始まったのであろうか。その理由は11世紀のセルジューク朝による。セルジューク朝はアナトリア半島(トルコ)のビザンツ帝国へ侵攻。ビザンツ帝国がローマ教皇に救援を求めたのが始まり。
セルジューク軍の内紛
では、第1回十字軍が行われた11世紀末のセルジューク朝はどのような状況であったのであろうか。
当時のセルジュークは、後継者問題で内紛状態にあった。全盛期のマリク=シャーの晩年。マリク=シャーと宰相にザームが対立。ニザームが暗殺された。
92年にマリク=シャーが亡くなると、セルジューク朝は分裂した。オスマン帝国の前身になるルーム=セルジュークもこの時に成立した。
第1回十字軍
96年の第1回十字軍は、セルジューク朝分裂期に起こった。本来では簡単に勝てる十字軍に敗北。パレスチナには、イェルサレム王国などの十字軍国家が成立した。
セルジューク軍
10世紀のバグダード
ファーティマ朝の話を見る前に、11世紀のバグダード(イラン)の様子を見ていきましょう。
バグダードは、8世紀のアッバース革命で成立したアッバース朝の都である。以後、中東最大の都市であった。
10世紀に入ると、シーア派のブワイフ朝が入城。ブワイフ朝は、アッバース朝のカリフを認めるものの、カリフの権限を宗教的なものに限定した。ブワイフ朝の王は、アミール(司令官)としてイランやイラクなどの統治を行った。
スンニ派のアッバース朝のカリフは、シーア派のブワイフ朝の影響かに置かれ、苦虫をかむような時を過ごし、救世主の登場を待っていた。
救世主の登場
救世主は東方に現れた。トルコ系騎馬民族のセルジューク朝である。セルジューク朝は、アッバース朝と同じスンニ派である。アッバース朝のカリフは、セルジュークの登場を大いに喜んだ。
55年、ついにセルジューク朝は、ブワイフ朝をバグダードから追い出した。アッバース朝のカリフは、セルジューク朝のトップに世俗権力のトップを意味するスルタンの称号を与えた。
ビザンツ帝国への侵攻
セルジューク朝は、バグダード入城を果たすと、アナトリア半島(トルコ)へ向った。当時、ヨーロッパには東欧のビザンツ帝国が存在した。当時のビザンツ帝国は、54年にローマ教会と相互破門したばかりで、弱体化傾向に入っていた。
71年、セルジューク朝は、マジケントの戦いでビザンツ帝国に勝利。このころから、アナトリア半島のトルコ化とイスラム化が始まった。
宰相ニザームの全盛期
セルジューク朝は、11世紀末に全盛期を向かる。時のスルタンは、マリク=シャーである。マリク=シャーには、イラン人の名宰相ニザームがいた。ニザーミヤ学院が成立し、セルジューク朝でもイクター制が導入された。
ファーティマ朝
ファーティマ朝とは
話をエジプトに戻す。11世紀のエジプトはファーティマ朝の時代である。ファーティマ朝は、過激なシーア派でイスマイール派の王朝である。スンナ派のアッバース朝に脅威を与えた。
セルジューク朝に敗退
11世紀に入ると、ファーティマ朝は、全盛期をむかえた。時のカリフはムスタンシルである。
しかし、その繁栄期は長くは続かなかった。55年にセルジューク朝がバグダードに入城。ファーティマ朝が支配下シリアは、セルジューク朝に奪われていった。