1910年代のエジプト 第一次世界大戦

20年代のエジプト

 20年代、イギリスの支援でアラブに多くの王国が成立した。そのような中、エジプトも王国として復活した。憲法を制定し、立憲君主制へ行こうこうした。

 さて、今回は、ワフド党が政権を確保していく過程を見ていきます。00年代の日露戦争でエジプトなどのアジア・アフリカの国々は独立に期待を持つようになった。ロシア革命や平和十四原則で民族自決が叫ばれるようになると、植民地の人々の期待は最高潮に達した。そのような中で行われたのがヴェルサイユ講和会議である。しかし、この会議の結果はこの期待を失望に変えた。この失望が、ワフド党の独立運動を過激化させた。

ヴェルサイユ講和会議

サイクス=ピコ協定に基づく分割

 18年、フセイン=マクホマン協定にもとづいてシリアのダマスカスを首都にしたヒジャーズ王国が成立した。ヒジャーズ地方は、アラビア半島の紅海沿岸部を指し、聖地メッカとメディナがある。ヒジャーズ王国は、地中海沿岸のシリアからパレスチナを通り、ヒジャーズ地方(アラビア半島)までの帝国になるはずであった。

 しかし、大戦後は、サイクス=ピコ協定によって、シリアはフランスの委任統治領となった。また、パレスチナはバルフォア宣言によるユダヤ人国家建設準備のため、イギリスの委任統治領になった。

 その後、ヒジャーズ王国のハーシム家は、サウード家によってヒジャーズ地方(アラビア半島)を追われ、イギリスの助けでイラクとヨルダンの王家となった。

シリアの分裂

 現在、地中海東岸には4つの国がある。パレスチナ暫定自治区、イスラエル、レバノンとシリアである。その4つの国が成立した要因はサイクス=ピコ協定にある。東地中海は、フランスが統治する北部(シリア)とイギリスが統治する南部(パレスチナ)に分割された。

 なぜ、このように分割されたのであろうか。話は1850年代のクリミア戦争にさかのぼる。クリミア戦争でフランスはオスマン帝国から聖地管理権を獲得した。これを快く思わない国が2つあった。ロシアとイギリスである。ロシアは、シリアの東方正教会のひとびとを支援した。一方、イギリスはイスラム教徒を支援した。その中で仲良くなったのがハーシム家である。

かなわなかった民族自決

 エジプトは、どうだろうか。自治権拡大の運動をおこしていたワフド党は、ヴェルサイユ講和会議に代表者を送ろうとした。しかし、イギリスは、これを拒否した。

 ワフド党は、これに抗議。エジプト各地で独立運動を展開した。

 この頃、同じイギリス領インドでも、自治権拡大運動が活性した。これにより、20年代から30年代にかけてエジプトやインドの自治権は拡大していった。

人種平等規定

 ヴェルサイユ条約では、国際連盟を設立することが決まった。この後、国際連盟規約の策定に入った。この中には、宗教の自由も書かれていた。日本は、この規約に人種や国籍による差別の撤廃を加えようとした。これに英仏が反発。この条項は否決された。

 この背景には、オブザーバーのアメリカへの配慮があった。当時のアメリカは、移民問題が起きていた。そのため、人種差別撤廃に否定的であった。

民族自決

第一次世界大戦前の様子

 00年代、アジアの人々を喚起する事件が起きた。日本が日露戦争でロシアに勝利したのである。

 10年代前半のバルカン戦争では、バルカン諸国で構成されたバルカン同盟がオスマン帝国に勝利した。

 これらの戦争には、イギリスやロシアなどの大国が陰で支援しているのだが、小国でも大国に勝つことができることがこの2つの戦争で証明された。

総力戦

 第一次世界大戦は。総力戦となった。軍人はもちろん、民間人や女性、植民地までも巻き込んだ戦争になった。イギリス政府は、植民地の人々の協力を得るため、エジプトやインドなどの植民地に自治権の拡大を約束した。

 また、開戦の翌年には、フセイン=マクホマン協定の密約をアラブの有力豪族ハーシム家と締結。16年には、オスマン帝国内のアラブ人の反乱が始まった。18年にはアラブ人国家ヒジャーズ王国が建国された。

ロシア革命

 17年10月、ロシアで十月革命が起こり、レーニン政権が誕生した。翌11月、レーニンは「平和についての布告」を発表。第一次世界大戦から離脱した。この布告に、民族自決の考えが示された。

 民族自決とは、その民族が望む限りにおいて、その民族は国家を建てるべきだという考え方である。

ウィルソン大統領の平和十四原則

 アメリカは、17年4月に第一次世界大戦に参戦した。翌18年の1月の一般教書演説で、ウィルソン大統領は平和十四原則を発表した。これは、ロシアのレーニン政権の「平和についての布告」を受けてのものと考えられる。

 平和十四原則には、国際連盟の結成について書かれていた。この中にも、民族自決について書かれていた。

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