紀元前1世紀のエジプト クレオパトラとカエサル

1世紀のエジプト

 エジプトは、紀元前1世紀にローマの属州になっている。1世紀から6世紀にかけて、ローマ帝国の属州としてエジプトの歴史を見ていきました。

 今回は、エジプトがローマ帝国(共和政ローマ)に取り込まれていく過程を見ていきます。

ローマ帝国の成立

元首政(プリンキパトゥス)

 紀元前30年、オクタウィアヌスは、アクティウムの海戦に勝利。権力を掌握した。そして、紀元前27年、元老院はオクタウィアヌスにアウグストゥス(皇帝)の称号を与えた。

 これにより、共和政ローマは幕を閉じ、ローマ帝国が事実上成立した。

ファラオと皇帝

 エジプトは、ローマに征服されるまで、ファラオ(太陽神)が統治していた。そのため、エジプトの総督になるオクタウィアヌスにはその地位に似合う称号が必要になった。そこで登場したのがアウグストゥス(皇帝)であった。

アクティウム海戦

第2回三頭政治

 3世紀末、ディオクレティアヌス帝が即位。政情安定させるために専制君主制に移行した。これにより、軍人皇帝時代が終結した。

 ディオクレティアヌス帝は、ローマ帝国を四分割した。ディオクレティアヌス帝は、サーサーン朝の最前線を担当する。東の制定になった。彼は、豊かなシリアとエジプトを担当した。

 ちなみに、のちに皇帝になるコンスタンティヌス帝は、西の副帝としてフランス(ガリア)を担当。ゲルマン民族の最前線で戦った。

 ディオクレティアヌス帝は、専制君主制を強めるため皇帝の神格化を進めた。そのため、キリスト教の迫害を断行した。しかし、3世紀末に入るとキリスト教の勢力は簡単に迫害できないほどの巨大組織になっていた。4世紀にはいると、コンスタンティヌス帝はキリスト教を公認することになる。

オクタウィナウス・クレオパトラ連合軍

 五賢帝の時代が終わると、皇帝の後継者をめぐり内紛が勃発。ローマの内紛に、辺境で戦う軍人たちは怒り心頭。軍人出身の皇帝の時代が始まる。これが軍人皇帝時代である。

 この時代になると、領土の拡張が亡くなり、奴隷の供給が止まる。ラティフンディアからコロヌス制へ移行した。

 また、3世紀に成立したササン朝は、ローマ皇帝を捕虜にするほどの大国になった。

 また、3世紀の政情不安からキリスト教信者は増大した。また、これを迫害できる皇帝もいなかった。

アクティウムの海戦

プトレマイオス朝の滅亡

 1世紀末から2世紀に五賢帝の時代に入る。この時期に最大領土を獲得。ローマ帝国の全盛期を迎える。

クレオパトラとカエサル

プトレマイオス朝

クレオパトラ

 クレオパトラは、紀元1世紀半ばに登場したエジプトの女王である。楊貴妃、小野小町とともに世界三大美女の一人に数えられている。

 このころ、プトレマイオス朝は内紛状態にあった。当時のプトレマイオス朝エジプトの皇帝はクレオパトラの弟であるプトレマイオス13世である。当時のプトレマイオス13世は

第1回三頭政治

ポンペイウス vs カエサル

 ポンペイウスは、ローマを追放されるとエジプト(プトレマイオス朝)に亡命した。プトレマイオス13世は、ポンペイウスを殺害した。

カエサル独裁

カエサル暗殺