紀元前1世紀の世界 漢王朝の武帝と共和政ローマのカエサル

国別地域別の歴史

後の世紀 1世紀

 1世紀、世界は、2大帝国の影響を受けるようになる。日がh師の漢王朝と西のローマ帝国である。

 漢王朝では、光武帝が漢王朝を再興。後漢の時代に入る。

 ローマ帝国では、キリスト教が成立。ネロ帝のキリスト教の大迫害もこの時代である。1世紀末に五賢帝の時代に入り、ローマ帝国は、全盛期に入る。

前の時代 紀元前2世紀

 中国は、漢王朝(前漢)の時代。劉邦が漢王朝の基礎を固める。紀元前2世紀末の武帝の時代に入ると、中央集権化が進み、領土の拡大が進んでいく。

 地中海世界は、共和政ローマがポエニ戦争でカルタゴを滅亡。地中海世界を統一していく。この頃から、戦争奴隷を使った大規模農場経営(ラティフンディア)が始まる。これにより、格差が問題になり、内乱の一世紀に入る。

年代別後半

紀元前00年代

 漢王朝、仏教が伝来。

紀元前10年代

紀元前20年代

 共和政ローマでは、オクタウィアヌスの独裁が始まる。

紀元前30年代

 漢王朝、北方騎馬民族の西匈奴を滅ぼす。

 共和政ローマ。第2回三頭政治の時代。アントニヌスは、エジプトと結んで、西アジアのパルティアへ遠征。当時のエジプトは、プトレマイオス朝でクレオパトラらが治めていた。アントニヌスのパルティア遠征は失敗。その後、勢力争いでオクタウィアヌスはアントニヌスをローマから追放。アントニヌスは、エジプトと結んでオクタウィアヌスと激突(アクティウムの海戦)。オクタウィアヌスが勝利。これにより、エジプトは滅亡した。

紀元前40年代

 漢王朝、塩・鉄の専売をやめる。

 共和制ローマ。クラッススが戦死した後、ポンペイウスとカエサルがローマで激突。カエサルが勝利。カエサルの独裁が始まった。ユリウス暦を導入するなどの功績をあげた。しかし、独裁期間は2年で、暗殺によって終結した。カエサルが亡くなると、オクタウィアヌスらによる第2回三頭政治が始まる。

年代別前半

紀元前50年代

 漢王朝、西域(中央アジア)に都護を置く。北方騎馬民族の東匈奴は漢王朝に服従。

 共和政ローマの第1回三頭政治の後、カエサルはガリア(フランス)へ、クラッススはパルティア(西アジア)へ遠征した。カエサルはガリアを平定したが、クラッススは戦死した。

紀元前60年代

 中国北方の騎馬民族の匈奴が東西に分裂。

 共和制ローマ、ポンペイウスが地中海の海賊を一掃。さらに、西アジアのセレウコス朝シリアを滅亡させる。そして、富豪のクラッスス、軍人のカエサルともに第1回三頭政治で元老院と対抗した。

紀元前70年代

 中央アジアの大月氏がアム川の南に拡大。

 共和制ローマ、剣闘士奴隷の反乱(スパルタクスの乱)

紀元前80年代

 漢王朝の武帝が死去。前漢の衰退期に入る。

 共和制ローマ。同盟市戦争を鎮圧。マリウス・スラの抗争が起こる。西アジアのパルティア、皇帝ミトラダテス2世が亡くなる。

紀元前90年代

 漢王朝の武帝、財政難から塩・鉄に加えて酒の専売を始める。司馬遷が歴史書『史記』を完成

 共和制ローマでは、同盟市戦争が始まる。そのため、共和制ローマは全イタリアにローマ市民権を与える。