1840年代のスペイン イザベル女王の親政

前回の復習 1850年代のスペイン

 1850年代、イザベル2世の時代である。内政では、改憲を望む急進派と改革に反対する穏健派の対立が続いていた。また、海外での戦争も続いていた。そのため、イザベル2世の信頼は低下していた。

1840年代の国際情勢

 40年代のヨーロッパ。48年革命でウィーン体制が完全に崩壊。フランスでは第二共和政が成立。プロイセンやオーストリアでは三月革命が起こる。

イザベル2世の結婚問題

バルセロナの反乱

 イザベル2世の穏健派政権が成立して3年。イザベル2世の結婚問題が発生した。そのきっかけは、46年9月のバルセロナの反乱(第2次カルリスタ戦争)である。反乱軍は、穏健派政権の打倒とともに、婚姻を通じて新国王を擁立しようとした。

 この婚姻は実現しなかった。しかし、バルセロナの反乱は49年まで続いた。

フランス vs イギリス

 スペインは、イザベル2世の結婚問題で政府は対立した。当時の王室の結婚は重要な外交課題であった。与党の穏健派は、フランスから婿を取ることを考えた。一方で、野党の急進派は、イギリスから婿を取ろうとした。

 イザベル2世は、フランスから婿を迎えた。このため、スペインとイギリスの関係は悪化した。

48年革命で後ろ盾を失う

 当時のフランスは、七月革命で成立した七月王政の時代。イザベル2世の婿も七月王政のルイ=フィリップの関係者であった。しかし48年に二月革命が成立。イザベル2世は後ろ盾を失った。

イザベル2世の親政

イザベル2世の親政

 イザベル2世は、39年にカルリスタ戦争に勝利。43年に、イザベル2世の親政が始まった。

穏健派政権

 イザベル2世を支えたのは、都市部の富裕層であった。この富裕層は、急進派と穏健派に分かれた。最初に政権を取ったのは急進派である。

 急進派は、教会財産の国有化や自由貿易の促進を実施した。

 46年になると、急進派政権から穏健派政権へ移行した。その要因は、46年のイザベルの結婚問題がある。

保守派の反乱

カルリスタ戦争

 30年代後半は、カルリスタ戦争が行われた。これは、スペインの王位継承戦争である。イザベル2世は、叔父と王位継承を争った。

 叔父側についたのは、保守派である。貴族や農民、聖職者が中心であった。また、バスク地方やカタルーニャ地方(バルセロナ)など地方の有力者も叔父側についた。

 そのため、カルリスタ戦争が終わると、都市の富裕層による政権が成立した。

ポルトガル)カブラルの改革

 30年代、急進派による反乱でセテンブリスタ政権が成立した。当初は、急進派の単独政権であったが、38年に穏健派と妥協した。

 このころ、ポルトガルは教会財産の没収でローマ教皇との関係が悪化していた。41年、ローマ教皇と和解した。

 42年、セテンブリスタ内閣は内部分裂。カブラル政権が成立。セテンブリスタ政権が廃止した26年憲章を復活させた。

 カブラルは、「上からの改革」をすすめた。ただ、各地の慣習を無視した改革を実施したことで、46年に大反乱が発生した。原因は、共同墓地の建設である。北部の農民が、カブラルの改革に対する反乱を起こす。これに、反政府勢力が同調。全国規模の大反乱になった。この反乱は、イギリス軍の支援を得て1ヶ月がかりで鎮圧された。