13世紀のフランス カペー朝 ルイ9世の領土拡大

前回の復習 14世紀のフランス

 14世紀のフランスは、カペー朝が断絶。ヴァロワ朝が成立した。14世紀初頭は、教皇権の衰退によって、アナーニ事件や教皇のバビロン捕囚が起きた。カペー朝が断絶すると、イングランドとの間で百年戦争が始まった。

 フランス革命以前のフランスは4つの王朝が成立した。

 カロリング朝 → カペー朝 → ヴァロワ朝 → ブルボン朝

13世紀の国際情勢

 13世紀は、モンゴルの世紀である。

 フランスも例外ではなかった。経済の停滞に加え、十字軍の失敗で困窮していた。14世紀に入ると、教会への課税を開始。これにより教皇のバビロン捕囚も始まった。その後、中世最後の戦い英仏百年戦争が始まる。

国王でみる13世紀のフランス

フィリップ2世 領土回復

02年、第4回十字軍

09年、アルビジョワ十字軍

14年、イギリスのジョン王に勝利

15年、ドミニコ修道会設立

ルイ9世、十字軍遠征で崩御

26年、ルイ24世がフランス国王に即位。

45年、ノートルダム大聖堂完成。12世紀なかばに建設開始。

48年、第6回十字軍遠征開始。

53年、モンゴル帝国にルブルクを派遣。

53年、第6回十字軍遠征失敗。

55年、ルブルク、モンゴルから帰国。

70年、第7回十字軍

85年、北アフリカのチュニスで病没。

フィリップ4世 ローマ教皇と対立。

 85年、フィリップ4世がフランス国王に即位。

 91年、十字軍最後の拠点であるアッコンが陥落。

 94年、ボニファティウス4世がローマ教皇に即位。フランス国王フィリップ4世に十字軍を要請。しかし、フィリップ4世はこの要請を拒否。フランス国王とローマ教皇の対立が始まる。

外交・軍事)フランスの確定

イギリス)失地王ジョン王

南フランス)アルビジョワ十字軍

 アルビジョワ派は、ローマ教会から異端とされたキリスト教の一派である。イラン(ペルシア)のマニ教の影響を受けていて、ローマ教会の権力や富を否定した。南フランスを中心に広まった。

 13世紀、教皇インノケンティウス3世は、フランス国王フィリップ2世にアルビジョワ派の一掃を要請。フランス国王フィリップ2世はこれに応じ、09年南フランスにアルビジョワ十字軍を派遣した。

 この遠征は、ルイ9世に引き継がれ、29年に殲滅された。

 これにより、南フランスの貴族は一掃。国王の権威は南フランスまで広がった。

ローマ教皇)十字軍遠征

 13世紀初頭、ローマ教会は絶頂期にあった。時のローマ教皇は、インノケンティウス3世である。12世紀末の第3回十字軍には、ドイツ(神聖ローマ帝国)、フランスとイングランド(イギリス)の3国の王が参加した大遠征になった。

 第4回十字軍からは、海路での遠征になった。

南イタリア)シチリアの晩鐘

ドイツ)大空位時代

経済

封建制度の動揺

貨幣経済の普及

文化

ノートルダム大聖堂の完成

 11世紀に建設の始まったノートルダム大聖堂は、45年のルイ14世の時代に完成した。ゴシック建築の教会の代表例である。

パリ大学

 12世紀、ヨーロッパでは多くの大学が作られた。

 大学の始まりは、イスラム圏である。10世紀、エジプトのファーティマ朝がアズハル大学を設立。シーア派の正統性を示すために神学を教えた。11世紀、バグダードにトルコ系スンナ派のセルジューク朝が成立。アズハル大学に対抗して、各地にマドラサという教育機関を設置した。

 11世紀末に十字軍遠征が始まる。十字軍遠征や東方貿易を通じてイスラム圏の文化がヨーロッパに伝わる。12世紀、ヨーロッパ各地に大学が建設される。当時の主流の学問は、神学である。この神学の研究が16世紀の宗教改革につながっていく。

 フランスでは、00年にパリ大学が設置された。パリ大学は、ノートルダム大聖堂の附属機関として設置された。パリ大学は、いくつかの学寮から構成される。53年には、ルイ9世に仕えた聖職者のソルボンが神学の学寮を建設。教皇インノケンティウス3世や哲学者ベーコンらがこの学寮で勉強した。パリ大学はソルボンヌと呼ばれるようになった。1970年にパリ大学は分裂。その一部がソルボンヌ大学になった。

 パリ大学は、教師による自治が認められていた。

 神学では、スコラ学派の学者を多数輩出した。

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