17世紀後半のフランス ブルボン朝 太陽王ルイ14世の絶対王政

前回の復習 18世紀前半

 18世紀初頭は、フランス絶対王政の全盛期である。ただ、度重なる戦争でフランスは疲弊していく。これが18世紀末のフランス革命につながっていく。

17世紀後半の国際情勢

 日本は、江戸時代前期。犬将軍こと徳川綱吉の時代である。生類憐みの令が出た頃である。武断政治から文治政治へ移行し、平和な江戸時代が確立された頃である。

 中国は、清王朝の時代。康熙帝が三藩の乱を平定。中華統一を果たし、全盛期に入っていく。

ルイ14世の戦争

ウェストファリア条約

 48年、ウェストファリア条約が締結。ドイツ三十年戦争が終結した。神聖ローマ帝国は事実上崩壊した。

 フランスは、この戦争でアルザス地方を獲得する。

 この講和会議にイングランドは参加しなかった。当時、イングランドは、清教徒革命の真っ只中であった。

 一方、スペイン=ハプスブルグ家とフランスとの戦争は継続していた。

フロンドの乱

 48年、貴族の反乱が起こる。フロンドの乱である。この反乱は、パリの民衆反乱や農民の反乱も同時に起きたため、鎮圧に時間がかかった。

 48年は、ドイツ三十年戦争に勝利した年である。フランス王家はアルザスを獲得したことで評価が高まった。この勢いに乗じて最高裁判所に当たる高等法院に市民を採用した。これに貴族が反発した。さらに、ドイツ三十年戦争よって、市民に重税を課した。そのため、貴族の反乱に市民や農民が加勢。フロンドの乱は大規模なもとになった。

 49年、軍人の有力貴族コンデ公が宰相マザランを支援。パリを制圧。フロンドの乱は鎮圧した。

 その後、恩賞をめぐりコンデ公と宰相マザランが対立。コンデ公が反王党派貴族と結びつき、再びフロンドの乱が始まった。20年、コンデ公はパリを制圧。宰相マザランや摂政であったルイ14世の母もドイツへ亡命した。

 しかし、コンデ公がフランスと戦争中のスペイン=ハプスブルグ家と結びつくと、反乱軍は分裂。コンデ公がパリを脱出。52年、反乱は終結した。

 外国でも同様な反乱が起きていた。イギリスのピューリタン革命もこのときに起きている。

 フロンドの乱により、貴族の発言力が低下。絶対王政が確立された。

ピレネー条約

 48年、全ヨーロッパを巻き込んだドイツ三十年戦争が終結。ウェストファリア条約を締結した。しかし、フランスとスペイン=ハプスブルグ家の戦争は継続していた。

スペインは、フロンドの乱で反国王派を支援し、フランスの弱体化をしていた。

 一方、フランスは、清教徒革命で権力を握ったクロムウェルと同盟を結んだ。さらに、スペイン国内のカタルーニャの反乱も支援した。

 59年、スペイン=ハプスブルグ家とフランス=ブルボン家が講和した。ピレネー条約である。内容は、以下の通りである。

  • フランスは、スペイン領南ネーデルラント(ベルギー)の一部を獲得。
  • フランスは、スペインとの国境であるピレネー山脈の一部を獲得した。
  • スペイン国王の娘をルイ14世の妻に迎える。ただし、賠償金として、スペイン=ハプスブルグ家はフランス=ブルボン家に持参金を支払う。

南ネーデルラント継承戦争

 ネーデルラントは、現在のオランダとベルギーに当たる地域である。両国は、ともにスペイン=ハプスブルグ家の領地であった。

 48年のウェストファリア条約で北半部がオランダとして独立した。一方で南部は、スペイン領のままであった。

 69年、スペイン=ハプスブルグ家とフランス=ブルボン家はピレネー条約を締結した。しかし、持参金は、払われなかった。

 そこで、フランスは、67年にスペイン領南ネーデルラントへ侵攻した。オランダ・イングランドとスウェーデンがフランスを牽制。68年、スペインとフランスは再び講和。

 フランスは、南ネーデルラントの一部を獲得するのみであった。

オランダ侵略戦争

 72年、フランスはオランダへ侵攻した。これは、オランダが南ネーデルラント継承戦争の際にスペインを支援したことへの報復である。

 このとき、清教徒革命のときに亡命していたチャールズ2世とドーヴァーの密約を締結。このとき、イングランドも第3次英蘭戦争を展開した。

 78年に講和。フランスは、南ネーデルラントを獲得した。

ファルツ継承戦争

 88年、ファルツ継承戦争が起こる。ファルツは、神聖ローマ帝国の領邦国の1つで、ファルツ選定候の国である。85年にファルツ選定候が亡くなると、ルイ14世は弟を擁立しようとした。これが、ファルツ継承戦争の始まりである。

 ルイ14世は、同85年にナントの王令を廃止し、プロテスタントの弾圧を開始した。これにより、オランダなどプロテスタントの国がフランスを警戒し始めていた。

 88年、フランス軍がファルツへ侵攻。ファルツ継承戦争が始まった。

 同88年、イングランドでは名誉革命が起こる。これにより、イングランドもオランダ側についた。

 89年、講和。ルイ14世は、ファルツの相続権を放棄する。おその代わりに領土とお金を受けった。アルザス地方の拡大と西インド諸島のハイチで合うr.

スペイン継承戦争

 00年、スペイン=ハプスブルグ家が断絶。ルイ14世が妻がスペイン国王の息子であることを利用して、自分の孫をスペイン国王にしようとした。これで始まったのが、スペイン継承戦争である。

ルイ14世の絶対王政

摂政時代

太陽王ルイ14世とブルボン朝

王権神授説

ナントの王令廃止

ヴェルサイユ宮殿

東インド会社と英仏植民地戦争

財務総監コルベール

インド

アメリカ

ハイチ

フランス東インド会社

英仏植民地百年戦争

 コルベールは、64年に東インド会社と西インド会社を設立した。2つの会社は、ルイ14世から勅許状を得て、貿易を独占した。

 東インド会社は、アジア・アフリカ地域との交易を担当し、西インド会社は、南北アメリカ大陸との交易を担当した。

重商主義

 当時のけいざい

アメリカ

 フランスは、カナダに拠点を持っていた。

インド

文化)ロココ

古典派文学

フランス科学

パスカル