1970年代のフランスジスカールデスタン大統領 オイルショックと サミット

970年代のフランスは、68年の学生運動をうけてド・ゴール大統領が退陣。一方で、ニクソンショックによる変動相場制への移行や、オイルショックによる物価高騰で経済は停滞していた。また、中東戦争ベトナム戦争などが終結したのも70年代である。

70年代の国際情勢

スターリン批判によって、中国とソ連が対立。アメリカと中国の関係が急速に改善された。中東では、第四次中東戦争がおこる。その後、イスラエル=エジプト和平が実現。30年にわたる中東戦争がここに終わるが、パレスチナ難民の問題は現在も続いている。

70年代の経済

ベトナム戦争の泥沼化からアメリカが財政難。ついに、アメリカは固定相場制を放棄し変動相場制へ移行した。また、第四次中東戦争をきっかけにオイルショックが起こる。
この経済的危機から、サミットが始まる。

70年代のベトナム

68年の反戦運動ベトナム戦争は終息の兆しを見せたが、カンボジア内戦により再び過熱。しかし、75年ベトナム戦争終結し、ホーチミンを中心とした社会主義政権がベトナムを統一した。

70年代のヨーロッパ

ヨーロッパ統合は拡大し、イギリスが参加するようになった。

70年代のフランス政治

このころのフランス政治は、ド・ゴールを中心とした右派勢力とミッテランを中心とした社会党などの左派勢力が対立していた。68年の学生デモで、ド・ゴール大統領は退陣したもの、右派勢力が大統領を輩出し続けた。ド・ゴール派(UDR)のポンピドゥー大統領と非ド・ゴール派のジスカールデスタン大統領である。しかし、ジスカールデスタン大統領時に右派が分裂。81年の大統領選で左派のミッテラン大統領が誕生する。

年表

69年、ド・ゴールの後継者ジョルジュ・ポンピドゥー大統領が就任。
70年、東南アジアのカンボジアで、親米右派ロン=ノルがシハヌーク国王を追放。
   親米右派政権に対し、社会主義勢力のポル=ポト派が抵抗。内戦が始まる。
70年、アメリカ、ニクソン大統領、カンボジア内戦に軍事介入。
71年、アメリカ、ニクソン大統領、ラオス内戦に軍事介入。
71年、ニクソン=ショック。45年に始まったIMFの下の固定相場制の時代が終わり、日本円、フランスフラン、ドイツマルク、イギリスポンドなどの一部の通貨が変動相場制へ移行した。
72年、アメリカ、ニクソン大統領、ベトナムの北爆を再開。
73年1月、アメリカ、ニクソン大統領、ベトナム撤退。
73年1月、 ECにイギリスアイルランドデンマークが加入、この時、フィンランドソ連との関係から加盟せず。ノルウェー国民投票で否決された。
73年9月、東西ドイツ国際連合に加盟。
73年11月、第四次中東戦争が勃発。アラブ諸国は石油価格を引き上げ、イスラエル支援国に対して石油禁輸措置をとった。第一次オイルショックである。
74年5月、ジョルジュ・ポンピドゥー大統領死去にともない、非ド・ゴール派のヴァレリー・ジスカール・デスタンが大統領に就任。ド・ゴール派のUDRが分裂。シラク氏らがジスカールデスタン大統領支持に回った。
75年1月、フランスで人工中絶が合法化。
75年4月、北ベトナム南ベトナム解放戦線の連合軍がサイゴン陥落。
75年、カンボジア社会主義勢力のポル=ポト派が内戦に勝利し民主カンプチアを建国。
75年11月、71年の変動相場制への移行、75年のオイルショックによるインフレにより、先進国の経済は停滞していた。そのため。フランスのポンピドゥー大統領の提唱で先進国はフランスで第1回サミットを開催した。参加国は、フランス、西ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリである。
75年12月、ラオスラオス人民民主共和国が成立。ベトナム戦争に勝利したベトナムとそれを支援するソ連の影響下に置かれた。
76年7月、ベトナム統一選挙で南北ベトナムが統一。ベトナム社会主義共和国が成立。
77年11月、エジプトのサダト大統領イスラエル訪問。
79年1月、イラン革命、イランの親米派のパフラヴィー国王が亡命
79年3月、アメリカ、カーター大統領の仲介でエジプト=イスラエル和平が成立。
79年9月、中央アフリカ帝国、フランス軍による無血クーデターで崩壊。中央アフリカ共和国が成立。
79年12月、ソ連アフガニスタン侵攻。
内政面では、参政権の引き下げ、高速鉄道TGVの建設などを実施した。
 78年、中道右派が連合してフランス民主連合が結成された。一方でシラク氏の離反を招いた。その結果81年の大統領選挙で中道左派社会党ミッテランに大統領の座を引き渡すことになる。