1970年代のフランス 第五共和政とオイルショック

前回の復習 1980年代前半の世界

 1980年代前半のフランスは、ミッテラン社会党政権の時代。財政拡大政策を進めた。しかし、経済は低迷を続けた。それにより、ねじれ現象が発生。主流であった小さな政府政策へ転換した。

1970年代の国際情勢

 1970年代、衝撃的な事件が3つ起こる。変動相場制への移行。米中国交正常化と石油危機である。これにより、先進国の景気は低迷していた。

経済)オイルショックで低成長へ

第2次オイルショック

 70年代のフランス経済は、高度成長期から低成長期へ移行した。その要因は、2つのオイルショックであった。

 79年、イラン=イスラーム革命が発生。これにより、第2次石油危機が発生した。これにより、景気は悪化。81年の大統領選挙で、ミッテラン社会党政権が成立した。

第1次オイルショック

 73年、第4次中東戦争が勃発。アラブ諸国はイスラエル支援国に対して石油の禁輸措置を実施。これにより第1次オイルショックが始まった。

 ポンピドゥー大統領はこれを打開するために、イギリスのEC加盟を承認した。しかし、翌74年の大統領選挙に敗北。新米政権が成立した。

外交)イギリスECに加盟

 94年、EUはさらに拡大した。中欧のオーストリアと北欧のノルウェー、スウェーデン、フィンランドが加盟した。これらの国は、ソ連に配慮して中立を保っていた国である。これらの国はNATOには現在も加盟していない。22年、ウクライナ戦争が勃発すると、フィンランドとスウェーデンはNATOへの加盟を申請した。

外交)サミットの始まり

アメリカとサミット

 73年、第1次オイルショックが発生。翌74年の大統領選で親米派のジスカール・デスタン大統領が誕生した。

 石油価格高騰を打開するために、先進国の会議を設置することを決定した。ヨーロッパの主要国、フランス、イギリスと西ドイツに加え、アメリカと日本の首脳をパリに集めた。これがG5サミットである。

 その後、イタリアが突然参加し、G6となった。アメリカはヨーロッパ諸国が多いのを問題視し、カナダを加えてG7とした。

イギリスのEC加盟を承認

 EUの前身であるECは、73年にイギリス、デンマークとアイルランドが加盟した。

 イギリスは、63年にECの前身であるEECへの加盟を申請した。しかし、ド・ゴール大統領はこれを拒否した。

 69年、ド=ゴール大統領が失脚。73年に、第1次オイルショックが発生。フランスは、イギリスの加盟を認めざるを得なかった。

政治)第五共和政

第五共和政とは

 フランスは、首相と大統領が存在する半大統領制の国である。首相は議会で選出され、大統領は直接選挙で選ばれる。第五共和政では大統領の権限が強化された。

ミッテラン社会党政権へ

 70年代末、フランス経済は第2次オイルショックで再び低迷していた。そのため、政権交代が発生。

 81年、社会党のミッテラン大統領が誕生。公共事業の拡大、企業の国有化や最低賃金の引き上げなど財政支出を拡大して景気を回復させようとした。

反ド=ゴールのジスカール・デスタン政権

 70年代に入ると、石油危機で景気が低迷していた。そのため、74年の大統領選挙で政権交代。ジスカール・デスタン政権が成立した。

 ジスカール・デスタン大統領は、外交方針を変更。親米路線へ転換させた。その象徴が、サミットである。

親ド=ゴールのポンピドゥー政権

 ジスカール・デスタンの前の大統領は、ポンピドゥー大統領であった。

 58年の5月危機で、ド=ゴール大統領が退陣。後継者に指名されたのはポンピドゥー大統領であった。

 ポンピドゥー大統領は、ド=ゴール大統領の政策を継承し、反米外交を継続した。一方で、イギリスに接近。イギリスのEC加盟を容認した。