1980年代前半の ドイツ 新冷戦とコール首相

1980年代前半の世界

新冷戦

 20世紀後半の世界史は、米ソ冷戦を中心に動いている。70年代、米ソ冷戦は軍縮傾向に動いていた。デタント(緊張緩和)である。戦略兵器削減交渉(SALT)が行われていたのもこのころである。

 しかし、79年に状況は一変した。ソ連のアフガニスタン侵攻である。これにより、第2次戦略兵器削減交渉(SALTⅡ)は批准できずに廃案となった。80年のアメリカ大統領選挙では強硬外交を進めるレーガン大統領が当選した。ここに新冷戦が始まった。

 80年代のオリンピックでは、新冷戦の状況を如実にあらわした。80年モスクワオリンピック(ソ連)、84年のロサンゼルスオリンピック(アメリカ)で、米ソは相互にボイコットした。

民営化と新自由主義

 70年代、先進諸国は不況に苦しんでいた。当時の経済学の主流はケインズ経済学であり、金融緩和と財政出動でこれを打開しようとした。しかし、効果はなかったどころか、オイルショックをきっかけにインフレによって生活をより困窮させた。

 そのような中、新しい経済学が誕生した。それが新自由主義である。これは規制緩和によって景気を回復させようという考え方である。80年代のニューリーダーたちはこの新しい経済学に飛びついた。

 アメリカのレーガン大統領、イギリスのサッチャー首相、日本の中曽根首相は、財政を縮小。多くの国有企業の民営化を行った。日本を例にとると、国有企業であった鉄道(国鉄)、タバコ事業や電話事業(電電公社)を民営化した。JRやJT、NTTはこの時に誕生した。

コール首相

 このような中、西ドイツでは82年に政権交代が起きた。70年代の社会民主党政権が崩壊。キリスト教民主同盟(CDU)のコール氏が首相になった。

 キリスト教民主同盟は、カトリック系の中道右派の政党である。現在のメルケル首相もキリスト教民主同盟である。カトリック系の政党は1930年代、ナチスドイツによって回答させられた。45年の敗戦によってキリスト教民主同盟は復活。49年には初代首相アデナウアーを誕生させた。

 一方、ライバルの社会民主党は、中道左派の政党である。30年代、社会主義政党としてナチスドイツによって回答。45年に復活した。

プラザ合意

 アメリカのレーガン大統領は双子の赤字に苦しんでいた。70年代のインフレ抑制のために金利を引き上げる一方で、新冷戦で財政は悪化。国債の金利で苦しんでいた。一方で、日本や西ドイツとの大幅な経常赤字で多くの工場労働者が失業していた。

 85年、アメリカ、イギリス、フランスと西ドイツと日本の蔵相がニュヨークのプラザホテルに集結。協調の為替介入を行うことを発表した。これにより1ドル=240円から1ドル=150円までに円高が進んだ。ちなみに、85年は第1回のサミットのちょうど10年後の出来事であった。

 日本政府は、円高不況に備えるため、大幅な金融緩和を行った。これらの資金は不動産や株へ流れ80年代後半のバブル経済へと向かっていく。

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