6世紀のイラン ササン朝ペルシャとホスロー1世

7世紀のイラン

ササン朝、衰退期へ

 ホスロー1世が亡くなると、ササン朝は衰退期へ向かう。ビザンツ帝国との戦争が再開。これが衰退の原因になる。

 そして、7世紀にササン朝は、イスラム勢力(正当カリフ時代)によって滅亡する。

ホスロー1世の全盛期

ホスロー1世の即位

 31年、ホスロー1世がササン朝の皇帝に即位。ササン朝は全盛期を迎える。

ビザンツ帝国(ユスティアヌス帝)

 ホスロー1世は、32年(即位の翌年)にビザンツ皇帝ユスティアヌス帝と和議を結ぶ。

 しかし、和議はすぐに破棄。ホスロー1世は再びシリアへ侵攻。40年にシリアを征服した。多くの捕虜と多額の賠償金を獲得した。

 61年、ホスロー1世はエフタルを滅ぼすと、ユスティアヌス帝と再び和議を結んだ。

エフタルを滅ぼす

 57年、ホスロー1世は、突厥と同盟を結び、エフタルを滅ぼした。

 61年、エフタルを滅ぼしたホスロー1世は、ビザンツ帝国と再び和議を締結。国土を確定させた。

 エフタルとは、イラン系の遊牧民族である。4世紀後半に成立。5世紀にササン朝へ侵攻を開始した。50年には北インドへ侵入。グプタ朝の滅亡の一要因になった。

 突厥とは、6世紀に中央アジアで成立したトルコ系の騎馬民族である。魏晋南北朝時代の中国に取って大きな脅威となった。 

内政)中央集権化

 ホスロー1世が即位した6世紀初頭のササン朝は、社会定期に混乱していた。その要因は、経済格差のマズダク教の存在である。

 ホスロー1世は、異教徒弾圧を実施。一方で、経済格差の税制に努めた。経済力のある大貴族の発言力を弱め、中央集権を強化した。一方で、ビザンツ帝国やエフタルとの戦争で困窮した中小貴族の支援も行った。

異教徒の反乱

 ホスロー1世の時代は、マズダク教の影響で混乱していた。そのため、マズダク教やマニ教、キリスト教を厳しく弾圧した。

 また、ホスロー1世の時代に、口承されていた国教のゾロアスター教の聖典『アヴェスター』の正本が完成した。

多くの学者が流入

 ビザンツ帝国のユスティアヌス帝は、キリスト教を重んじていた。そのため、ギリシャ哲学を批判。アカメディアを閉鎖。多くの学者がササン朝へ移住した。

 ホスロー1世は、これらの学者を保護。彼らは、ホスロー1世の全盛期を支えるとともに、イスラム勢力の科学技術を支えた。