前回の復習 17世紀前半のイタリア
16世紀から18世紀にかけて、イタリアが世界史の表舞台に出てくることはほとんどない。
前回17世紀前半編では、天文学の発展とローマ教皇の関係を見ていきました。
今回も、テーマはローマ教皇である。グレゴリウス13世について見ていきます。
ローマ教皇 グレゴリウス13世
グレゴリウス13世
16世紀は、宗教改革の時代である。しかし、ローマ=カトリックもこれを黙ってみていたわけではない。16世紀後半には改革派教皇が登場した。その代表がグレゴリウス13世である。
日本からの使者
グレゴリウス13世は、死の直前に朗報を聞く。日本からの使者が来たのでである。天正遣欧使節団である。
当時の日本は戦国時代の末期。信長・秀吉の時代である。82年、九州のキリシタン大名が使節団を派遣した。この年、日本の京都では本能寺の変が起こり混乱していた。この使節団をサポートしたのがイエズス会であった。
使節団は、84年にポルトガルのリスボンに到着。ローマ教皇以外に、スペイン国王フェリペ2世やフィレンツェ国王にけっけんしている。使節団はラテン語でローマ教皇に挨拶している。
グレゴリウス暦
82年、グレゴリウス13世は、グレゴリウス歴を制定した。これは現在使われている暦である。
それまで、ヨーロッパでは紀元前1世紀にカエサルが作ったユリウス暦を使用していた。4年に1度うるう年がある暦である。
グレゴリウス暦では、このうるう年の設定がさらに複雑になっている。
ルネサンスで天文学の研究が発展。これにより、暦が10日ほどずれていることが判明した。そのため、新たなうるう年のルールが設定された。
ガリレオ=ガリレイの振り子の法則
ガリレオ=ガリレイは、16世紀後半から17世紀前半のイタリア(フィレンツェ)の科学者である。ピサ大学の教授で、92年振り子の法則を発見。この後、この法則を天文学にあてはめ、17世紀に地動説を展開していく。
ユグノー戦争
16世紀後半、フランスで宗教戦争が展開されていた。カルヴァン派のユグノー系貴族とローマ=カトリックの貴族との戦争である。ユグノー戦争である。
72年、サンバルテルミの虐殺が行われると、教皇グレゴリウス13世はこれを歓迎した。
レバントの海戦
71年、スペイン、ローマ教皇、ヴェネツィア連合海軍がオスマン帝国海軍に勝利。これがレバントの海戦である。
このあと、スペイン海軍は無敵艦隊と呼ばれる。