18世紀前半のイタリア スペイン継承戦争

前回の復習 18世紀後半のイタリア

ポーランド継承戦争

 33年、選挙王政下のポーランドで国王選挙が行われた。ポーランドの新国王になったのがルイ15世の義父であった。そのため、ロシアとオーストリア(オーストリア=ハプスブルグ家)が反発し、ポーランドへ侵攻した。

 ポーランドは、フランス国王ルイ14世に救援を求めた。フランス(フランス=ブルボン家)はこれに応じた。さらに、スペイン(スペイン=ブルボン家)とサルディーニャ王国(サヴォイア家)がフランスを支援した。

 そのため、ポーランド王位継承戦争は、スペイン王位継承戦争の報復戦の様相を呈した。

 新国王は、ポーランドの国王の地位を返上。かわりに、オーストリアからロレーヌを獲得。ロレーヌ王国の王となった。ちなみに、ロレーヌはフランスに併合された。

 一方、ロレーヌ王であったハプスブルク家の分家は、トスカーナ大公になった。トスカーナは、イタリア中部でローマの北にある地域である。中心都市はフィレンチェである。ここを治めていたのはメディチ家であった。

 ただ、事実上はフランスの勝利であった。スペイン=ブルボン家は、オーストリア=ハプスブルグ家から両シチリア王国(南イタリア、シチリア王国+ナポリ王国)を奪回した。

両シチリア王国

サルディーニャ王国との交換

 20年、オーストリア=ハプスブルク家は、サヴォイア家と交渉。サルディーニャ島とシチリア島を交換した。

 ここから、サヴォイア家はサルディーニャ王国と呼ばれるようになる。

 一方、オーストリア=ハプスブルク家は、ナポリ王国とシチリア王国を獲得。この地位は再び両シチリア王国と呼ばれるようになる。

ユトレヒト条約

 スペイン継承戦争は、フランスとスペインの事実上の敗北となった。

 オーストリアは、フランスからナポリ王国(南イタリア)とサルディーニャ島、ミラノ(北イタリア)を獲得。

 また、サヴォイア家は、シチリア王国を獲得した。

スペイン継承戦争

 01年、スペイン=ハプスブルグ家が断絶。フランスのフランス=ブルボン家とオーストリアのオーストリア=ハプスブルグ家が王位継承を主張。スペイン継承戦争が始まった。

 王位は、フランス=ブルボン家の主張が認められた。ルイ14世の孫がスペイン=ブルボン家を創設した。