18世紀後半のイタリア ナポレオン以前のイタリア

前回の復習 1800年代のイタリア

 1800年代のヨーロッパは、ナポレオン戦争のまったっだ中にあった。北イタリアはフランスとオーストリアの係争地として主たる戦場となった。

 今回は、フランス革命以前のイタリアの様子を見ていきます。

フランス革命

総裁政府のイタリア侵攻

アンシャンレジームとローマ=カトリック

ナポレオンの出身地 コルシカ島 

北イタリア

サルディーニャ王国

 サルディーニャ王国とは、イタリア北東部のサヴォイア家が始まりである。サヴォイア家は、中心都市トリノのほかに、ジェノヴァやニースを抱えていた。

 20年に、サルディーニャ王国を獲得。ここからサルディーニャ王国と呼ばれるようになった。

オーストリア=ハプスブルク家

オーストリア=ハプスブルグ家

 オーストリア=ハプスブルク家は、ウィーンに拠点を置く王家。ナポレオンの戴冠まで、神聖ローマ皇帝の地位を継承していた。また、オーストリアのほかにチェコやハンガリーを統治していた。

 40年、男系が断絶。これにより、オーストリア継承戦争が勃発。シュレジエンなど多くの領土をうしなったが、マリア=テレジアは、オーストリア王とハンガリー王の地位を継承。マリア=テレジアの夫が神聖ローマ皇帝となった。

 マリア=テレジアは、外交革命で七年戦争でシュレジエン奪還を挑むが失敗した。このとき、フランスに嫁いだのが、マリ―=アントワネットである。

 ヨーゼフ2世は、宗教寛容令や農奴解放令などの改革を行って国力を増強。ポーランド分割で領土を東へ拡大させた。

教皇領(中部イタリア)

ローマ教皇とは

 ローマ教会は、ローマ=カトリックの総本山である。ローマ教皇とは、ローマ教会のトップであるとともに、全世界に広がるカトリックのトップである。

 キリスト教は、仏教やイスラム教のように多くの宗派が存在する。ローマ=カトリックはその最大勢力である。

トレヴィの泉

 トレビの泉は、ローマ帝国時代に建設されたものである。現在のものは、17世紀半ばに改修されたものである。設計はサルヴィ氏でバロック様式で作られた。

南イタリア

両シチリア王国とスペイン

 南イタリアは、イタリア南部とシチリア島で構成されている。この地域はイタリア南部のナポリ王国とシチリア島のシチリア王国で構成されるので、両シチリア王国と呼ばれる。

 15世紀にスペインの前身であるアラゴン王国が支配して以来、スペインが統治していた。

 18世紀初頭のスペイン継承戦争でスペイン=ブルボン家が成立。両シチリア王国もスペイン=ブルボン家が統治していた。

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