1980年代後半のイタリア 東欧革命とイタリア

前回の復習 1990年代のイタリア

90年代、マーストリヒト条約でヨーロッパ諸国はEU統合に向けて動き始めた。一方で、イタリア政界は汚職事件をきっかけに政界再編が行われていた。

 今回は、前半でECと東欧革命についてみていき、後半で90年代の政界再編前のイタリアの政党を見ていきます。

東欧革命とEU

東欧革命とは

 88年3月、ゴルバチョフ書記長は新ベオグラード宣言を発表。制限主権論を否定した。制限主権論とは、68年のプラハの春とのときに、ブレジネフ書記長が掲げたもので、社会主義を実現するためには各国の主権は制限されるという理論である。

 新ベオグラード宣言をうけて、翌89年1月、ハンガリーの民主化を皮切りに東欧革命が始まった。これにより、東欧諸国は次々と民主化していった。そして、89年11月ベルリンの壁崩壊。90年10月ドイツは統一された。

ユーゴスラヴィア

 ユーゴスラヴィアは、バルカン半島西岸の国である。イタリアとは、アドリア海を挟んで向かい合っているとともに、北部では国境を接している。

 第二次世界大戦期には、ユーゴスラヴィアの共産党軍が遺体リア共産党と連合して戦っていた。戦後は、チトー大統領の下で社会主義国になっていた。80年にチトー大統領が死去しても国家を維持し続けていた。しかし、89年の東欧革命でタガが外れた。90年代に入ると、独立をめぐり内戦状態になった。

EC

 EUの前身であるECは、80年代に南欧諸国に拡大した。81年にギリシャ、86年にスペインとポルトガルが加盟した。これらの国は、軍事独裁政権であったが民主化したことで、加盟することになった。

 89年に冷戦が終結すると、中立国のオーストリアやソ連に近いフィンランドとスウェーデンが加盟した。

80年代の主要な政党

概要

 92年の汚職事件の発覚でイタリアでは政界再編が起こった。それ以前は、日本と同じ右派政党(日本でいう自由民主党)と左派政党(日本でいう日本社会党)があった。

 右派政党がキリスト教民主主義党で左派政党がイタリア社会党である。

キリスト教民主主義

 キリスト教民主主義は、日本でいう自由民主党に当たる政党である。略称は民主党もしくはDCである。戦前のカトリック政党の流れをくむ。

 20年代、ムッソリーニによって解党。40年代のムッソリーニしっ局によって復活した。

 第二次世界大戦以降は、80年代初頭まで、一貫して首相を排出し続けた。一方で、日本の自民党同様に、長期政権による腐敗も出てきた。

イタリア社会党

 80年代前半、共産党が躍進。脅威に感じた民主党は、社会党と連立政権を形成。83年、社会党のクラクシ首相が誕生した。その後、民主党と社会党が交互に政権を担うようになった。