1990年代のイタリア ベルルスコーニ首相と政界再編

前回の復習 2000年代のイタリア

00年代、ユーロの導入やEUの拡大によって、イタリアはEUの影響を大きく受けるようになった。 00年代、ユーロの導入やEUの拡大によって、イタリアはEUの影響を大きく受けるようになった。

EU成立へ

マーストリヒト条約

 92年、EC加盟国はオランダのマーストリヒト条約を締結。13年11月批准が完了し、発効した。

EUとは

 EUはヨーロッパ連合の略称である。次の内容を目的として結成した。

  • 経済だけでなく外交や安全保障の共通化
  • 統一通貨ユーロの導入
  • EU憲法を制定し、主権の一部をEUへ移譲

EUの前身、EC

 EUの前身であるEUは60年代に成立した。当初の参加国はフランス、西ドイツ、イタリアとベネルクス3国の6か国である。中世のフランク王国の範囲にほぼ一致している。その後、イギリスなどが参加。92年マーストリヒト条約締結時には、12か国になっていた。

 では、60年代にECは結成されたのであろうか。60年のアフリカの年でヨーロッパ諸国は多くの植民地を失った。また、アメリカと対抗するためには大きな市場を必要とした。そのため、西ドイツとフランスがタッグを組んで新たな市場を作ろうとした。これがECである。

ECの拡大

 89年に冷戦が終結したことにより、ソ連との関係からEC加盟へ二の足を踏んでいた国々が加盟した。

 90年、ドイツ統一によりECの範囲に東ドイツまで広がった。93年には、オーストリア・スウェーデン・フィンランドが参加。15か国体制になった。

オリーブの木(中道左派)

 95年、汚職疑惑でベルルスコーニ首相が退陣。96年の総選挙では、オリーブの木を中心とした中道左派の政党が躍進した。中同左派は旧与党勢力である。

 ちなみに、この影響は日本にも波及。98年、旧社会党勢力を中心とした穏健左派が民主党を結成した。

 

ベルルスコーニ首相

フォルツァ・イタリア

 ベルルスコーニ氏は政治家になる前は、実業家として知られていた。

 92年の政管混乱期に、フォルツァ・イタリアを結成。政治家人生がスタートした。94年5月、中道右派政党を取りまとめ首相になる。しかし、その後、ベルルスコーニ首相の汚職疑惑で1年足らずで政権は崩壊した。

政界再編

90年代前半の国際情勢

 90年代前半、ソ連が崩壊。日本でも55年体制が崩壊。細川非自民連立政権が樹立された。

腐敗した長期政権

 第二次世界大戦以降、キリスト教民主主義が政権を握っていた。しかし、80年代になると共和主義者と社会主義勢力の連立政権が続くようになった。

 92年、ミラノで汚職事件が発覚。これにより与党が国民の支持を失う。この年の4月の総選挙で、与党は大敗した。93年4月、国会議員以外から選ばれるテクノラート内閣が成立した。余談だが、日本の非自民の細川政権が成立したのは93年の8月である。

テクノラート内閣の成立により、汚職事件の捜査はさらに拡大。国会議員約400人を含む3000年が摘発された。また、この操作の過程で政界とマフィアの関係が明るみに出た。

憲法改正

 テクノラート内閣は、93年に憲法を改正。完全比例代表制から小選挙区比例代表並立制へ移行した。ちなみに、日本でも94年に、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へ移行した。

政界再編

 94年、新憲法制定後の総選挙が実施。既存政党が軒並み議席を減らした。新光製糖の「フォルツァ・イタリア」のベルルスコーニ首相が誕生した。