12世紀の日本 平安時代 貴族の時代から武士の時代へ

源頼朝と鎌倉幕府

 一方、関東の武士たちが、平治の乱島流しにされた源頼朝を担ぎ上げ、鎌倉に軍事政権を樹立した。鎌倉武士の頭領となった源頼朝は、京都にいた平家を滅亡させ、地方武士の地位向上に努めた。そして、将軍(征夷大将軍)となった。

 源頼朝は、京都から守護(地方の警察・司法権)と地頭(土地の管理者)の任命権を得て、これを使って武士をコントロールした。12世紀末の日本は、京都を中心とした皇室公家のグループと鎌倉を中心とした源氏、そして東北地方の奥州藤原氏の3つに分断されていた。

平清盛

 そこで登場したのが、平清盛である。瀬戸内海の海賊退治で名をあげ、保元の乱平治の乱で勝利し、太政大臣となった。経済面でも、大輪田の泊(のちの神戸港)を整備し、9世紀に成立した宋との交易で大きな利益を上げていた。当時の宋は靖康の変で華北を東北部の女真族に奪われていたが、農業技術の進歩や商業の活発で経済は活気を持っていた。ちなみに宋との貿易で多くの銅銭が日本に流入し、13世紀に貨幣経済が浸透するきっかけとなった。

院政と武士

 院政がすすみ、天皇上皇天皇を譲位して、政治に集中する)などの対立が生じ、多くの戦乱が生じた。保元の乱平治の乱である。この対立では武士が活躍した。その結果、武士の発言力が大きくなった。

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