2000年代の日本 9・11テロと小泉改革

リーマンショックと政権交代

民主党政権の成立

 リーマンショックの影響で、09年8月の衆議院総選挙で自民党連立政権が敗北。鳩山民主党政権が樹立した。

リーマンショックと年越し派遣村

 08年9月、麻生内閣が成立した。同9月、アメリカでリーマンショックが起こる。

 小泉政権で行われた派遣法改正と90年代後半から始まる就職氷河期の影響で、非正規労働者の比率が大きく担っていた。12月に契約満了で多くの非正規労働者が職を失った。その大部分は社員寮で生活していたため、職とともに住居を失った。そのため、労働組合が中心となって日比谷公園に年越し派遣村が造られた。

 これに対し、麻生政権は翌09年5月に1人当り12000円(子供には20000円)の定額給付金を実施した。

アフター小泉政権

小泉劇場

郵政民営化

2000年代の日本政治は、政治不信がぬぐえていなかった。そのような中、国民から人気の高かった2001年小泉純一郎政権が成立した。小泉純一郎首相はワンマンなイメージがあるが、これは90年代の政治改革によって、首相や党首の権限が強まり、一方で派閥の領袖などの陰の実力者の権限は小さくなった。2006年小泉首相が引退すると、1年ごとに内閣が変わる状況が続いた。08年の派遣社員の首切り問題をきっかけに、翌年、民主党政権交代した。

小泉外交

イラク特措法

世界的には、9・11テロというニューヨークで発生したイスラム原理主義者の同時多発テロで始まり、その後アフガン戦争、イラク戦争へと進んだ。日本では、湾岸戦争の反省と小泉純一郎の剛腕により有事関連三法やイラク特措法が成立。迅速な対応が行われた。

日朝首脳会談

小泉首相は、北朝鮮の金正日総書記と会談。拉致被害者の一部が

雇用なき景気回復

 2000年代の日本経済は、回復基調にあったが雇用環境の改善までにはいかなかった。そのため「雇用なき景気回復」と呼ばれた。また、アメリカ初の不況が起きた2001年ITバブル崩壊、2008年のリーマンショックである。1999年の小渕内閣は、大手金融機関の破綻をうけて、財政再建を棚上げにして景気対策を行った。一方、2001年に成立した小泉政権は、主たる景気対策は行わなかったが小渕政権時の景気対策が功を奏し景気は回復基調にあった。一方で、小泉政権は派遣業法の改正を行い。派遣社員(非正規雇用)が大幅にふえた。これは、2008年のリーマンショックの際に、多くの失業者を生み出した。

 2000年代の格差社会は流行にもあらわれた。低賃金の派遣労働者を中心にユニクロなどのファストファッションが流行した。このファストファッションは中国やベトナムなどの低賃金の工業国で作られた。一方で、IT長者は高い家賃で六本木ヒルズで生活した。

2000年代の文化

M-1とお笑い第5世代

 00年代に入ると、エンタの神様やM-1、オンバトなどネタみせ番組が増えた。タカアンドトシやブラックマヨネーズ、サンドウィッチマンなど、現在も活躍する芸人が多い一方で、多くの一発屋芸人が出てきたのもこの時代である。

Diva 宇多田ヒカル

 00年代になると、宇多田ヒカルや浜崎あゆみなど実力派シンガーが次々誕生した。