1850年代の朝鮮半島 江華島事件と 朝鮮の開国

 朝鮮は、19世紀まで日本同様、鎖国政策をとっていた。70年代に朝鮮は軍事的圧力で開国することになった。その相手は日本であった。

19世紀までの朝鮮の鎖国政策

 19世紀まで、日本と同じように。朝鮮も鎖国政策をとっていた。19世紀に入ると、欧米列強が開国を迫るようになった。大院君は小中華思想の観点からヨーロッパの改革要求を突っぱねた。

小中華思想

 小中華思想とは、朝鮮版中華思想の考え方である。中華思想とは、中国皇帝が世界の中心であり、他国や野蛮な人とみなす考え方である。
 しかし、17世紀に野蛮人とされた女真族(満州族)が清王朝を建国し、中華皇帝となった。朝鮮は、清王朝に服従するも、文化的には朝鮮王朝の方がすぐれていると以う考えである。

日朝修好条規

 76年、日朝修好条規を締結した。日本は朝鮮に対して優位な条件で朝鮮を開国させた。

江華島事件

 日本は、列強同様朝鮮に開国を求めていた。しかし、ことごとく拒否された。75年、日本の軍艦が江華島付近で朝鮮の砲撃を受けた。

江華島とは

 江華島とは、ソウル近郊の島で、ソウルの中央を流れる漢江の河口にある島である。13世紀の元寇の際には高麗の宮廷が置かれ最後まで抵抗し続けた。朝鮮戦争の際にアメリカ軍が侵入した仁川は江華島の近くの港町である。なお、現在仁川にはソウルのハブ空港である仁川国際空港がある。

閔妃政権

 閔妃は、門閥貴族である閔家の出身である。朝鮮国王大院君の次男、高宗の后となった。73年、大院君を隠居させ、高宗の親政を始めた。しかし、その実態は閔氏一族が裏で操っていた。