1980年代後半の朝鮮半島 韓国の民主化

韓国の民主化

ソウルオリンピック

 88年、ソウルオリンピックを開催。新冷戦の影響でソ連とアメリカが互いにボイコット。12年ぶりに米ソが参加したオリンピックに参加した。

 アメリカのカールルイスが活躍したオリンピックである。

盧泰愚(ノテウ)大統領

 87年6月、全斗煥政権は憲法を改正。現在の大統領制の仕組みはこの時確立された。(第六共和国憲法)

 それまで、韓国の大統領は統一主体国民会議で決定されていた。統一主体国民会議のメンバーは選挙によって選ばれていた。しかし、妨害行為によって、野党系の候補者はほとんど立候補ができなかったようだ。

 憲法改正により、直接選挙で大統領を選出する仕組みとなった。

 大統領選挙は、与党系と野党系の対決になっている。与党系は、盧泰愚大統領や李明博大統領、朴槿恵大統領である。一方で野党系の大統領は、現在の文在寅大統領をはじめ、金泳三大統領や金大中大統領、廬武鉉大統領である。

 同87年12月、新憲法による大統領選挙が行われた。民主化を指揮したグループは、金泳三派と金大中派で分裂。全斗煥の後継者で軍人出身の盧泰愚大統領が勝利した。

民主化デモ

 87年6月、光州で大規模な民主化デモが行われた。全斗煥大統領は、大統領の直接選挙を認めざるを得なくなった。同年憲法を改正し、12月の直接選挙による大統領選挙が実施された。

民主化以前の大韓民国は

 60年代から70年代にかけて、大韓民国では朴正煕大統領による開発独裁が行われていた。71年の憲法改正では、大統領は選挙ではなく、統一主体国民会議で選出されることの担っていた。

北朝鮮とソ連の崩壊

 この時期、社会主義政権は危機的な状況下にあった。ソ連の崩壊と天安門事件である。当時の北朝鮮は、金日成から金正日への政権移行期である。金日成国家主席は最悪なタイミングで政権移行を行うことになった。

 ソ連は、85年にゴルバチョフ書記長が誕生した。しかし、翌86年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに大きな改革を余儀なくされた。89年には東欧革命で多くの社会主義国家が民主化。90年、ついにソ連は崩壊した。

 一方、中国は、89年の天安門事件で国際的に孤立していた。