1980年代前半の 朝鮮半島 新冷戦と全斗煥大統領

全斗煥(チョンドゥファン)大統領

全斗煥(チョンドゥファン)大統領とは

 全斗煥氏は、軍人出身の政治家である。全斗煥氏は、光州事件などの民主化運動を鎮圧。統一主体国民会議(大統領を指名する議会)は、全斗煥氏を大統領に指名した。

 全斗煥大統領は、憲法改正(第五共和国憲法)を実施。基本的人権が拡大した。大統領の直接選挙制は、一部認められた。統一主体国民会議は廃止。大統領は選挙人団による間接選挙へ変更された。

円借款

 80年のソ連のアフガニスタン侵攻で、新冷戦が勃発。韓国は防衛費増強の必要に迫られた。

 全斗煥大統領は、防衛のために60億ドルの借り入れを日本政府に求めた。しかし、当時の鈴木首相はこれを40億ドルにひきさげようとした。

 82年、中曽根政権が成立すると、この問題は解決した。

NIEsの台頭

 80年代、アジア諸国が急激な経済成長を進めた。その代表格である韓国、香港などである。これに南米で経済成長著しいブラジル、メキシコなどと合わせてNIEs(新興工業経済地域)と呼ばれた。

新冷戦

 70年代、冷戦の緊張感は薄れていたころである。いわゆるデタントである。しかし、80年代に入ると状況は一変した。アメリカは、人権外交をすすめる民主党カーター大統領から強いアメリカを求める共和党レーガン大統領に代わった。そのような中、ソ連はアフガニスタンへ侵攻。新冷戦が始まった。

北朝鮮 南北対話が進む

 80年代、全斗煥氏が大統領となると南北対話が進んだ。その背景には以下のようなことが推測される。金正日体制の内外からの承認。米中国交正常化により、韓国、日本、アメリカと中国の関係が急速に改善されたことが考えられる。