2000年代の朝鮮半島 冬のソナタと太陽政策

第一次韓流ブーム

ヨン様ブーム

 04年、韓国ドラマ「冬のソナタ」(02年制作)をNHKで放映。日韓ワールドカップ後もあって大人気を博した。これにより、中高年女性を中心にヨン様ブームが起こる。これが第一次韓流ブームである。

日韓ワールドカップ

 02年、FIFAワールドカップが日韓共催で開催された。アジアで初の開催となった。日本ははじめて決勝トーナメントに進出。韓国はベスト4に入った。

廬武鉉(ノムヒョン)大統領

廬武鉉(ノムヒョン)大統領とは

 廬武鉉氏は、金泳三元大統領や金大中前大統領とともに民主化運動家として活躍していた。

 03年大統領選挙で若者の支持を集めて大統領となった。初の前後生まれの大統領である。

 しかし、大統領選挙後に行われたイラク戦争に対し、廬武鉉大統領は支持した。これにより、廬武鉉大統領は大きく支持率を下げた。

北朝鮮にやさしい政治

 廬武鉉大統領の北朝鮮政策は、金大中大統領の宥和政策を継続した。太陽政策である。07年には平壌(北朝鮮)で第2回首脳会談が行われた。

核実験で政権交代

 07年、第2回南北首脳会談を実施。しかし、その直後、北朝鮮は核実験を実施。韓国は核の恐怖に襲われた。さらに親族の収賄事件が発覚。08年の大統領選挙で政権交代が行われ、李明博大統領が誕生した。

韓国の2大政党

 韓国は民主化後、大きく2つの政党が戦っている。保守政党と改革政党である。保守政党は日本でいう自民党に相当する政党で、現在は野党の「未来統合党」である。李明博大統領や朴槿恵大統領は保守政党の大統領である。一方、革新政党は、日本でいう立憲民主党に当たる政党で、現在は与党の「共に民主党」である。民主化リーダーの金泳三大統領や金大中大統領が作り上げた政党で、現在の文在寅大統領や廬武鉉大統領は革新政党出身の大統領である。

金大中(キムデジュン)大統領

民主化のリーダー

 98年、民主化リーダーである金大中氏が大統領に就任した。金大中氏は、70年代の朴正煕大統領時代から民主化運動をおこなっていた。80年の光州事件では死刑判決を受けている。

IMF体制

 金大中大統領就任時は、アジア通貨危機の真っただ中であった。金大中大統領は、IMFから巨額融資を受ける一方で、IMFの構造改革を受け入れた。

 リストラの容認など痛みを伴う改革で反発も大きかったが、00年には経済は回復方向へ向かった。一方で格差社会が進んでいった。

太陽政策の始まり

 金大中大統領は、北朝鮮に対しては温厚な政策をとっていた。これを太陽政策という。この政策は、00年の南北首脳会談の実現や、小泉訪朝につながった。

 この政策は盧泰愚大統領にも継承された。 

北朝鮮

悪の枢軸発言

 9・11テロの翌年の一般教書演説で、アメリカのブッシュ大統領は、イラン、イラク共に北朝鮮を挙げて悪の枢軸国として非難した。

小泉訪朝

 00年の南北首脳会談をうけて、02年日本の小泉首相は平壌(ピョンヤン)を訪問。金正日(キムジョンイル)しとの会談が実現した。(日朝首脳会談)

 北朝鮮は、この時に公式に拉致問題を認識した。5人の拉致被害者が帰国できたが、残りの人は死亡したといわれ現在も帰国できていない。現在も日朝関係は改善されていない。

南北首脳会談

 金大中大統領は、00年平壌を訪問。初の南北首脳会談が実現した。このあと、07年に廬武鉉大統領も訪朝した。しかし、08年に政権交代が起こり、韓国は北朝鮮強硬路線に代わった。

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