2000年代のポーランド
2000年代、ポーランドなどの東欧諸国がNATOに加盟。これがロシアに脅威を与えた。
また、東欧諸国はEUにも加盟。ドイツなどの西欧諸国へ出稼ぎ労働が急増した。
1990年代の国際情勢か
1990年代の日本は、平成時代。政治では55年体制が崩壊。経済ではバブル経済が崩壊した。
アメリカのMicrosoft社がWindows95を発売。IT革命が始まる。
ソ連崩壊
バルト三国の独立
90年、ソ連にあるバルト三国が独立。バルト三国とは、バルト海沿岸の小国であるリトアニア、ラトビア、エストニアである。
バルト三国は、バルト海に面した3つの小国である。南から、リトアニア、ラトビアとエストニアの順である。西はバルト海に面し、南はベラルーシである。南のリトアニアは、ポーランドに国境を接している。北のエストニアは、ロシアと国境を接し、フィンランド湾を挟んで北欧のフィンランドに接している。
民族は、エストニアは、フィンランドと同じウラル語族。ラトビア人とリトアニア人は、バルト語族に属する。宗教は、エストニア人は無宗教。ラトビア人はプロテスタント(ルター派)。リトアニア人は、隣国ポーランド人と同じ、カトリックを進行している。
バルト三国は、第2次世界大戦時にソ連に併合された。
東欧革命の真っ只中である89年8月にバルト三国は共同で抗議運動を行った。
90年3月、リトアニアが独立宣言。翌91年1月、ソ連が介入して失敗。しかし、8月、ソ連で保守派のクーデターが失敗すると、バルト三国は独立した。
CISの成立
91年、ソ連が崩壊。CISを結成した。CIS加盟国は、以下の通りである。
- ロシア連邦
- ウクライナ
- ベラルーシ
- モルドバ
- カフカス地方諸国のアルメニアとアゼルバイジャン
グルジア(後のジョージア)は93年に加盟し、08年に脱退 - 中央アジア5カ国
- カザフスタン
- トルクメニスタン
- ウズベキスタン
- タジキスタン
- キルギス
バルト三国は、CISに参加しなかった。
ウクライナ)クリミア半島と核問題
ソ連が衰退するのを見て、ウクライナでも独立運動が展開された。91年8月、ウクライナ最高会議(国会)は独立を宣言した。このとき、ウクライナ人だけでなく、ウクライナへ移住したロシア人も賛成した。この2つの勢力が、親EU派と親ロシア派の対立に繋がっていく。
ウクライナにある独立について、2つの問題が生じた。
1つ目は、ウクライナ国内にある核兵器の取り扱いである。ウクライナには、ソ連の核兵器がおいてあった。これの取り扱いが問題になった。
2つ目は、クリミア半島である。クリミア半島は、黒海沿岸にある半島である。ソ連のロシアの領土であったが、フルシチョフの時代にウクライナに譲渡された。
12月に、CISを結成の際にこの2つが重要な論点になった。結果、ウクライナは核兵器を放棄。見返りに、クリミア半島を引き続き領有した。このクリミア半島は、14年にロシアに併合される。
ベラルーシ)ルカシェンコ大統領誕生
90年7月に独立を宣言。91年8月に独立が承認された。12月、CISに加盟した。
ベラルーシは、独立当初、政治的にも経済的にも混乱していた。これを収拾したのがルカシェンコであった。
94年に、大統領選挙を実施。ルカシェンコ大統領が誕生。現在まで続く長期政権になった。
ポーランド ワルシャワ条約機構の解体
91年2月、ポーランド、ハンガリーとチェコスロバキアがヴィシェグラードグループを結成。
6月、コメコン(東欧諸国の経済協力機構)が解散。7月、ワルシャワ条約機構(東欧諸国の軍事同盟)が解散。12月、ソ連が解体された。
93年、チェコスロバキアがチェコとスロヴァキアに分裂。
99年、ポーランド、ハンガリーとチェコがNATOに加盟。スロヴァキアは、他の東欧諸国とともに04年に加盟した。