2010年代のポーランド
2000年代の国際情勢
日本は、平成時代。小泉長期政権の時代である。
この時期、アメリカ初の2つの衝撃が起きた。一つは、9・11テロである。もう一つは、リーマンショックである。
ポーランド EUの拡大
99年、ポーランドは、ハンガリー、チェコ共和国とともにもにNATOに加盟した。ソ連の反対があったため、多くの東欧諸国は、NATO加盟を見合わせた。
02年、ドイツへの直通電車が成立。ベルリンーワルシャワエクスプレス。
02年、多くの東欧諸国がNATOへの加盟交渉を開始。04年にNATOに加盟した。
04年5月、ポーランドなど東欧諸国10カ国がEUに加盟した。
同04年10月、EU憲法を制定。これに対し、ポーランド人々が懐疑的であった。ポーランドは、何度も占領した歴史を持っていた。その蹴った、EU憲法で主権が制限されることに不安を覚える人が多かった。これにより、05年に右派政権が成立した。
07年、シェンジェン協定に参加。ドイツなどの西欧諸国への出稼ぎが用意になる。翌08年9月、リーマンショックが発生。その後、ギリシャの通貨危機が発生。ポーランドも深刻な不況になる。
ウクライナ オレンジ革命
ウクライナでは、親ロシア派と親EU派の対立が起きていた。
04年、東欧諸国の多くがNATOに加盟した。この年の大統領選挙で親ロシア派と親EU派が激突。12月、親ロシア派のヤヌコーヴィッチ大統領が誕生した。
親EU派の人々は、不正選挙でヤヌコーヴィッチ大統領を認めない抗議運動が行われた。国際世論もこれを指示。最高裁判所が選挙の無効を認め再選挙が行われた。
翌05年1月、親EU派のユシチェンコ大統領が誕生。これにより、EUとNATOへの加盟に舵を切った。
経済面では、欧米からの投資が促進。ウクライナの経済は成長。これに対し、ロシアが天然ガスの優遇価格制度を廃止。天然ガスの価格が2倍になる。
06年6月、議会選挙で親EU派が敗北。ねじれ状態になる。
08年、リーマンショックが発生。外国資本が引き上げられる。10年の大統領選挙で親ロシア派のヤヌコーヴィッチ大統領が勝利する。
ベラルーシ)ルカシェンコ独裁政権の親ロシア政策
ベラルーシは、ルカシェンコ大統領の独裁が続いていた。01年に再選。
ルカシェンコ大統領は、親ロシアの政策を取った。
- NATO加盟とEU加盟を拒否
- イラク戦争に反対
04年、憲法改正。大統領は、選挙に勝てば何年も続けることが可能になった。ただ、ウクライナのオレンジ革命を支持した。
アメリカのブッシュ大統領が、ルカシェンコ大統領の独裁体制を批判。06年、3選。
10年、大統領選挙で、ルカシェンコ大統領が4選。このとき、野党候補を弾圧。これにより、国際的批判を浴びる。ルカシェンコ大統領は、国際的孤立を受けて、親ロシアの立場を強めていく。