1710年代のアメリカ イギリスがアン女王戦争に勝利

フランスのルイジアナ開発

 フランスは、アメリカ中央部の大平原ルイジアナに拠点に植民地政策を進めていた。中央にながれるミシシッピ川を使ってネイティブアメリカン(インディアン)との交易を進めた。

 10年には、ミシシッピ川中流域にセントルイス(現在のミズーリ州)に商業拠点を築いた。13年、ユトレヒト条約でスペイン=ブルボン朝が成立すると、カリブ海経由での交易が盛んになった。18年には、ミシシッピ川の河口にニューオリンズ(現在のルイジアナ州)が建設された。

第二次英仏百年戦争

第二次英仏百年戦争とは

 第二次英仏百年戦争とは、17世紀末から18世紀にかけて、海外植民地(アメリカとインド)をめぐり、イギリスとフランスが戦った戦争である。

 その始まりは、フランスの太陽王ルイ14世の登場による。インド、アメリカへ先に進出したのはイギリスであった。太陽王ルイ14世の時代に、フランスもインドやイギリスに拠点を置き始めた。フランスは現地の人々を味方につけてイギリスと戦った。

 この戦争は、ヨーロッパの戦争と連動しながら行われた。この時期の戦争は、ヨーロッパの戦争と紐づけて覚えたほうがよい。

 この戦争によって、フランスは財政難に陥り、18世紀末のフランス革命につながる。一方で、英仏百年戦争の勝者となったイギリスは大英帝国を築くことになる。

アン女王戦争とは

 アン女王戦争とは、第二次英仏百年戦争の一つの戦争である。ヨーロッパでスペイン継承戦争が行われている最中に行われた戦争である。

 この戦争の主な舞台は2つである。カナダ東岸とカリブ海(西インド諸島)である。イギリス国王商人のカリブの海賊がフランスなどの商船を襲った。一方でカナダでは、フランス・ネイティブアメリカン連合軍がイギリスの侵攻に抵抗していた。しかし、フランスはスペイン継承戦争の最中であったため十分の兵を送ることができず。イギリスの勝利で終わった。

ユトレヒト条約

 13年、スペイン継承戦争とアン女王戦争などのスペイン継承戦争と連動した一連の戦争の講和条約が締結された。

 スペイン国王は、フランス国王ルイ14世(太陽王)の孫であるフェリペ5世が即位した。しかし、その条件としてフェリペ5世はフランスの王位継承権を放棄した。(同君連合は認めない)

 スペインがもつアシエント権はイギリスが持つこととなった。

 イギリスは、フランスからカナダ東部の大部分(ニューファンドランド、アカディア、ハドソン湾など)を獲得した。フランスのカナダの拠点はケベックのみとなる。なお、ケベックはフレンチ=インディアン戦争時にイギリス領になる。

アシエント権とは

 アメリカでは、黒人奴隷を利用した大規模農場経営(アシエンダ)が行われていた。そのため黒人奴隷は高値で売れた。そこで、アメリカに広大な領土をもつスペインは、奴隷に関税を課す一方で、奴隷の独占販売権を与えた。これを手にした商人は巨万の富を得ることができた。

 フランス商人は、スペインの持つアシエント権をもとめて、フランス王室を支援した。一方で、イギリスはフランスにアシエント権がいかないようにスペイン継承戦争ではオーストリアを支援した。

 13年、イギリスはアシエント権を獲得すると、国営企業である南海会社を設立。南海会社の株式を販売して、アン女王戦争の戦費のために発行した国債を償還した。しかし、南海会社の株価が急激に高騰。バブルが発生し、イギリスの金融市場は混乱した。

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