17世紀後半の世界 ルイ14世とイギリス革命

 17世紀後半のキーパーソンは、フランス国王ルイ14世である。フロンドの乱で貴族の発言力が低下した。さらに、脅威である近隣諸国も混乱していた。イギリスでは、イギリス革命が勃発。神聖ローマ帝国も第2次ウィーン包囲の真っただ中であった。

1690年代
 英仏植民地戦争の始まり

フランスのルイ14世は、ファルツ継承戦争に敗北。この背景には、2つの要因が考えられる。1つは、ナントの勅令の廃止。2つ目はイギリス革命の終了である。ファルツ継承戦争の時代から第二次英仏百年戦争(英仏植民地戦争)が始まる。この戦争が18世紀末のフランス革命と大英帝国の成立につながる。

日本は、江戸時代。徳川綱吉時代で、関西圏(上方)を中心とした元禄文化が花開いた。

 清王朝は康熙帝の時代。中央アジアのジュンガルを征討。外モンゴルを領有。イギリスとの交易が始まる。東南アジアでは、ジャワ島(インドネシア)でコーヒーを栽培。ムガル帝国(インド)は。アウラングゼーブ帝の時代。イギリスがカルカッタに、フランスがシャンデルナガルにそれぞれ商館を築いた。

 オスマン帝国はムスタファ2世が即位。カルロビッツ条約でハンガリーをオーストリアに割譲。チューリップ時代に入る。ロシア帝国は、ピョートル1世の時代。オスマン帝国からアゾフ海を奪った。ピョートル1世はこの時代にオランダを視察している。

1680年代
 名誉革命とナントの王令

 イギリスで名誉革命が発生。オランダのウィリアム4世が即位。これにより、オランダと同君連合になり、英蘭戦争終結した。一方、フランスのルイ14世は、ナントの王令を廃止。プロテスタント(カルヴァン派など)を禁止した。ユグノーは、イングランドやプロイセンへ亡命した。

 日本では、徳川綱吉が将軍に。生類憐みの令が出される。

 清王朝の康熙帝は、三藩の乱を平定。台湾も征服。ロシア帝国とネルチンスク条約で国境を画定。そして、モンゴル(ジュンガル)遠征を開始する。ムガル帝国(インド)のアウラングゼーブ帝は、ヒンドゥー教徒の多い南インドへの遠征を開始する。オスマン帝国は、第二次ウィーン包囲を行う。

 ロシア帝国は、ピョートル1世が即位。清王朝(康熙帝)とネルチンスク条約を締結。オーストリアは、オスマン帝国軍の第二次ウィーン包囲を受ける。

 アメリカでは、イギリスはペンシルベニア(フィラデルフィア)植民地が建設。一方、フランスはルイジアナを領有。ファルツ継承戦争が始まるとアメリカではウィリアム王戦争が始まる。

 イギリス人科学者ニュートンが『プリンキピア』。産業革命への科学的基礎を与える。また、名誉革命をうけた、イギリス人啓蒙思想家ロックが『統治二論』を発表。

1670年代
 三藩の乱とシズヤの復活

 ルイ14世は、植民地の拡大へいそしんだ。東南アジアではアユタヤ(タイ)に商館を建設。ムガル帝国では、シャンデルナゴルやボンディシェリに拠点を築いた。アメリカではルイジアナ探検が始まった。一方、イギリスは第三次英蘭戦争が勃発。議会(貴族)は王党派(トーリ党)と反王党派(ホイッグ党)の派閥が形成された。これが二大政党制につながる。反王党派は、審査法や人身保護法を制定し、イギリス国教会の地位をイギリス国王から守ろうとした。

 日本は、江戸時代。武断政治から文治政治への移行期に当たる。

 清王朝は、康熙帝の時代。漢人官僚による三藩の乱がおこる。モンゴルでは、ジュンガルが台頭。フランス(ルイ14世)がムガル帝国や東南アジアへ進出していた。そのムガル帝国では、アウラングゼーブ帝の時代。ヒンドゥー教など反イスラム教徒を抑圧。シズヤを復活した。これに対し、ヒンドゥー教徒はマラーター同盟を結成した。

1660年代
 復古王政とルイ14世の親政

 イギリスは、復古王政。第2次英蘭戦争に勝利。オランダからアメリカのニューアムステルダム(ニューヨークに改称)を獲得。ポルトガルから南インドのボンベイを獲得。フランスは、マザラン宰相が退任。ルイ14世の親政が始まる。経済顧問はコルベールが担当。重商主義を進める。東インド会社を再建。英蘭戦争で手薄になったアジアへ交易に進出した。南ネーデルラント戦争で英蘭戦争で疲弊したオランダに勝利。イギリス(復古王政)とフランス(ルイ14世)は良好な関係となった。

 日本は、江戸時代。武断政治から文治政治への移行期。

 清王朝では、康熙帝が即位。呉三桂は雲南を平定。鄭成功は台湾にのがれ、オランダ人から台湾を奪う。東南アジアでは、清王朝がミャンマーへ侵攻。タイは清王朝へ朝貢を開始。オランダは、スマトラ島(マレーシア)の西岸を領有。ムガル帝国はアウラングゼーブ帝の時代。イギリスはポルトガルからボンベイを譲り受ける。

 イギリス人作家ミルトン『失楽園』、フランス人哲学者パスカルの時代。

1650年代
 クロムウェルの独裁

 イギリスは、ピューリタン革命で共和制へ。クロムウェルの独裁が始まった。航海法をきっかけに第1次英蘭戦争が勃発。フランスはマザラン宰相の時代。スペインに勝利。ルイ14世の妻にスペイン王女を迎える。(子の孫が後のスペイン王フェリペ5世である。)

 日本は、徳川家光が亡くなる。由井正雪の乱や明暦の大火で江戸は大混乱。

 清王朝は、ロシア帝国と黒竜江で激突。一方で鄭成功の反乱に対応。ムガル帝国では、シャージャハン帝が退位。アウラングゼーブ帝が即位。

 オランダは、スリランカを征服。南アフリカにケープ植民地を建設。イギリスは、ジャワ島のジャマイカを占領。

各国の状況は