アーリア人が都市国家を建設
紀元前6世紀ごろになると、アーリア人はより肥沃な土地を求めてさらに東へ向かった。インド北東部、ガンジス川中下流域へ進出した。彼らはこの地に定住するようになる。
クシャトリヤは城壁を作り、その中に庶民を集めた。これがインド版の都市国家である。しかし、クシャトリヤ(武士)はバラモン(聖職者)の権威付けを必要とした。このような背景から、ヴァルナ制は、第一身分がバラモン(聖職者)、第二身分がクシャトリヤ(武士)となった。
アーリア人、農業を学ぶ
紀元前1000年頃、アーリア人の一部が東へ進んだ。北インド中央部(ガンジス川上流)に進出した。現在のデリー周辺である。アーリア人はこのころ、先住民から農耕技術を学んだ。この頃から稲作を開始される。
農具も、弱い青銅器から強い鉄製農具に替わった。これにより牛による農耕が可能になった。インドでは、主に稲作(米)が生産された。
農業技術が向上すると、自分の食べる分以上の食料を生産できるようになった。それらの農産物は神にささげられた。これにより登場したのが宗教(バラモン教)である。その宗教を取り扱ったのがバラモン(聖職者)であった。寄付される食糧が多くなるとバラモンは農業を行わなくなるようになった。バラモンは自らを神聖化させるため、祭祀の内容をより複雑化させた。
また、余剰農産物を蓄えるようになった。そうなるとそれを狙う盗賊も登場した。盗賊から身を守るため新たな職業が誕生した。それがクシャトリヤ(武士)である。
こうして、アーリア人の世界に階級が発生した。
アーリア人、インドへ侵入
紀元前1500年頃、イラン(ペルシア)からアーリア人が侵入してきた。インド北西部のインダス川流域に拠点を築いた。これにより、先住民であるドラヴィダ人の多くは南インドへ移動した。このドラヴィダ人はタミル人の祖先とされている。
四大文明 インダス文明
インダス文明は、紀元前2600年頃、インド北西部のインダス川流域に成立した。有名な遺跡として、モエンジョ=ダーロやハラッパーが有名である。
レンガ造りの建物が多いのが特徴である。大浴場(沐浴場)がけんせつされ。排水設備も整っていた。
彼らは、ヒンドゥー教徒と同じく、牛を神聖なものとして扱っていたようだ。シヴァ神の像も見つかっている。
民族系統については不明である。インダス文明では、インダス文字が使われたいた。しかし、いまだ解読にいたっていない。