現在も続く地域紛争

(前史)19世紀後半のヨーロッパ

アフリカ

南アフリカ

 南アフリカ諸国は、独立後、少数の白人移民が、原住民(黒人)を支配する体制になっていた。しかし、80年代に入ると、白人少数支配体制が崩壊。

 ジンバブエは、65年にイギリスから独立。解放勢力による武力闘争が起こった。国際世論も解放勢力を支持。80年、解放勢力が勝利。黒人が主体的に政治を行う国となった。

 南アフリカ共和国では、黒人隔離政策(アパルトヘイト)が行われていた。これに反発しアフリカ民族会議(ANC)が発足した。

 国際連合などのが黒人隔離政策をを批判。経済制裁を実施した。80年、ジンバブエで黒人政権が成立。

 これを受けて89年、南アフリカ共和国で白人のデクラーク政権が成立。アパルトヘイトの見直しに着手。91年、差別法を撤廃。94年、選挙権でも、黒人と白人は対等になった。

 94年の総選挙で、ANCが過半数を制する。

債務危機

 70年代の石油危機で多くのアフリカ諸国が債務危機に陥った。

 しかし、21世紀に入るとアフリカ諸国は二極化した。ナイジェリアは石油などの鉱物資源の輸出で経済成長を果たした。

 2010年代にはアフリカの人口は11億人に達した。工業化の進展で1000万人規模の都市も見られるようになった。 

貧困

 極度な貧困状態の人口は、全世界で約10億人に達している。その大部分がサハラ以南のアフリカに多く住んでいる。

内戦

 アフリカでは、多くの内戦が発生。多くの死者や難民を出した。これらの紛争は、植民地時代の民族の分断と貧困問題や資源配分などの経済の問題に起因している。

 74年、エチオピアで軍事クーデター。皇帝の専制と貴族制が崩壊。社会主義国になった。しかし、経済政策の失敗で多くの難民を出した。91年、反政府勢力によって、社会主義政権は崩壊した。

 同91年、隣国のソマリアで内戦。これにより、ソマリア沖では海賊行為が横行した。

 94年、アフリカ中央部のルワンダで内戦。100万人の犠牲者が出た。

中東・アジア

中東戦争後のイスラエル

 79年、エジプト=イスラエル和平条約で一連の中東戦争は終結。仲介役はアメリカ民主党のカーター大統領である。81年、エジプトのサダト大統領が暗殺。

 一方、イスラエルは、パレスチナ自治区の併合を試みようとする。アラブ人とPLO(パレスチナ解放機構)が反発。80年代、パレスチナの人々は、イスラエル軍に石を投げる行為で抵抗の意思を示した。これをインディファーダという。

 93年、イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長が和平交渉に入ることで合意した。仲介役はアメリカ民主党のクリントン大統領である。

 95年、イスラエルのラビン首相は、和平反対派によって暗殺。武力対決へ戻った。

アジアの少数民族問題

 アジアではこのほかに以下の民族問題がある。

  • クルド人問題(西アジアのトルコ・イラン・イラク)
  • カシミールの国境紛争(南アジアのインド・パキスタン)
  • シンハラvsタミル(南アジアのスリランカ、09年に終結)
  • 02年、東ティモールの独立(東南アジアのインドネシア)

9・11

9・11の背景

 90年の湾岸戦争以降、イラクでは中東ではアメリカ軍の中東が続いていた。

 パレスチナ問題も95年のラビン首相の暗殺で武力闘争へ戻っていった。

 これにより、中東諸国では反米感情が高まっていった。これらは、イスラム過激派の支持につながった。

同時多発テロ

 01年9月、イスラム過激派が民間の航空機をハイジャック。ニューヨークとワシントンのビルに突撃するテロが発生した。

ブッシュ大統領

 民主党クリントン政権は00年に終了。00年のアメリカ大統領選では、共和党ブッシュ大統領が誕生した。90年代のブッシュ大統領の息子である。

アフガニスタン

 ブッシュ大統領は、イスラム急進派のアル=カイーダと断定。アフガニスタンのタリバン政権にアル=カイーダのリーダーであるビン=ラディン氏の引き渡しを要求した。しかし、タリバン政権はこれを拒否。01年10月、アメリカ軍はアフガニスタンを攻撃した。

 この戦争は、21年まで続き、民主党バイデン政権時に終結した。

イラク

 03年3月、イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を持っている疑惑が発生。アメリカのブッシュ大統領はイギリスなどとともに多国籍軍を結成。イラクを攻撃した。日本の小泉政権もイラク特措法を制定。復興支援として自衛隊を派遣した。

 04年6月、フセイン政権が崩壊。イラクに暫定政権が誕生。外国軍の駐留。暫定政権の崩壊。スンニ派とシーア派の対立。クルド人問題で正常化へ道は険しい。

 また、旧フセイン政権の官僚とイスラム急進派が合流。IS(イスラム国)を誕生させた。

アラブの春

 08年、リーマンショックが発生。世界的な不況になった。北アフリカや中東では若者失業率の高さが問題になった。

 10年末、北アフリカのチュニジアで青年が経済苦を理由に焼身自殺。これをきっかけに民主化運動が発生。チュニジアの政権が崩壊。これは、北アフリカのリビアやエジプトへ波及した。エジプトでは、80年代にサダト政権の後を継いだムバラク政権が崩壊した。これら、北アフリカや中東で起きた一連の民主化運動はアラブの春と呼ばれる。

 これらの地域では、独裁政権が崩壊。イスラム宗教政党が台頭した。

 アラブの春は、中東シリアまで飛び火した。民主化勢力を支援するアメリカとアサド政権を支援するロシアが登場し泥沼化し、現在も続いている。

紛争解決と軍縮

国際連合とPKO

 冷戦期は、米ソが互いに拒否権を行使しため、国際連合はほとんど機能しなかった。しかし、冷戦が終結すると、米ソが強調し国際連合の役割も重要となっている。

 その重要な役割にPKO(平和維持活動)がある。PKOとは、地域紛争解決後に派遣され、停戦合意の履行を支援する。ただ、派遣軍の指揮権、中立性の確保など多くの問題が残されている。

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