日清戦争と中国分割
三国干渉と中国分割
1895年、清王朝は日清戦争で日本に敗北。清王朝は、多額の賠償金が課せられた。更に、日本は朝鮮半島北部の遼東半島を割譲した。
これに、待ったをかけたのがロシアである。翌96年、ロシアは、フランス、ドイツとともに日本に圧力をかけた。日本は、この圧力をうけて、賠償金の増額と引き換えに遼東半島を清王朝に返還した。
清王朝は、多額の賠償金を支払うために、ヨーロッパ諸国から借金をした。その見返りに勢力圏(経済特区)と租借地(軍事拠点)をヨーロッパに渡した。これが中国分割である。
この中国分割には、ロシア、ドイツ、フランスのほかに、イギリスと日本が参加した。
ジョン=ヘイの門戸開放
清王朝の改革、第2弾
クリミア戦争、76年
日露戦争
義和団事件
サファヴィー朝
18世紀末にカジャール朝が成立。
大韓帝国と日英同盟
日英同盟と日露戦争
ポーツマス条約
第一次世界大戦へ
ハーブ教徒
韓国併合
露仏同盟
労働党とレーニン
日露戦争
ミールの解体
中華民国の成立
清王朝の改革
孫文
辛亥革命
モンゴル
インド
インド帝国成立後
インド国民会議
ベンガル分割令
国民会議派
全インド=ムスリム同盟
東南アジア
概要
インドネシア
フィリピン
ベトナム
中東
アフガーニー(イラン)
イランのアフガーニ―氏は、中東各地で民族主義とパン=イスラム主義を説いた。
この運動は、エジプトのウラビーの乱やイランのタバコ=ボイコット運動につながった。
青年トルコ革命(オスマン帝国)
76年、ミドハト憲法を制定。立憲君主制へ移行。
78年、露土戦争を理由に、ミドハト憲法を停止。スルタンの専制時が復活。
89年、大日本帝国憲法が制定。日本は立憲君主制へ移行した。
05年、日本が日露戦争でロシアに勝利。オスマン帝国の若き将校たちは、憲法の重要性を感じる。
08年、若い青年将校たちがミドハト憲法の復活を求めて、青年トルコ革命が勃発。内戦状態になる。これにより、周辺諸国が侵攻するようになった。
イラン立憲革命
イランは、18世紀末に成立したカジャール朝の時代である。カジャール朝は、イギリス企業に様々な利権をあたえた。その一つがタバコであった。イスラム教では飲酒は禁止されている。そのため、タバコは数少ない嗜好品の1つである。
1890年代、イランでタバコボイコット運動が起こる。これは、イギリス企業が独占販売しているタバコの不買運動である。これを指揮したのがアフガーニ―であった。
05年、日本が日露戦争で強国ロシアに勝利。これをうけて、翌06年、憲法を公布した。立憲革命である。