現代② 2つの大戦

概要

 ここでは、20世紀前半の歴史を見ていきます。

  • 10年代 第一次世界大戦とロシア革命
  • 20年代 戦間期と軍縮
  • 30年代 世界恐慌
  • 40年代 第二次世界大戦

WW1とロシア革命

 第一次世界大戦のきっかけは、オスマン帝国の衰退であった。日清戦争後に起きた青年トルコ革命でオスマン帝国は混乱した。この機に乗じて多くの国がバルカン半島へ侵攻した。そこから、バルカン半島は、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれるようになった。

 セルビア事件をきっかけに、第一次世界大戦が始まった。当初はこれまでの戦争同様に短期戦で終わるものと思われていた。しかし、戦車などの新兵器の登場で戦争は長期化した。そのため、植民地や女性も参加する総力戦となった。

 長期にわたる戦争は、人々の生活を苦しめた。ロシアやドイツで革命が起き、これにより戦争は終結した。

 ロシア革命は、第一次世界大戦による貧困から始まった。この革命によって、ロシア帝国は崩壊した。そして、レーニンらによって世界初の社会主義国であるソ連が誕生した。

20年代のヨーロッパ

 第一次世界大戦後に、ヴェルサイユで講和条約が締結された。ドイツは天文学的な賠償金を課せられた。また、国際連盟の結成もここで決まった。

 しかし、アメリカ議会はこれを認めなかった。ワシントンで新たな秩序について会議が行われた。

  • 太平洋について → 四か国条約
  • 中国について → 九か国条約
  • ワシントン海軍軍備制限条約

 20年代、アメリカ、イギリス、日本などで軍縮交渉が頻繁に行われた。その争点は、海軍の軍艦数であった。

20-30年代のアジア

 ここでは、中国、インドとトルコの歴史を見ていきます。

 中国は、10年代の辛亥革命で中華民国が建国された。中華民国は第一次世界大戦でイギリス陣営で参戦。戦勝国となった。その後、山東省にあった旧ドイツ植民地について日本と争うようになった。

 このころ、のちに中華人民共和国を建国する中国共産党が成立。国民党と共産党が争うようになる。20年代から40年代の中国は、国民党、共産党、北方の軍閥、そして日本の4つの勢力が互いに争う内戦状態になった。この戦いを制したのが、49年に中華人民共和国を建国した毛沢東率いる共産党であった。

 インドでは、ガンジーらヒンズー教徒を中心に自治権の拡大運動が展開されていた。イギリスは、少数派のイスラム教徒を味方につけてこれに対抗した。これにより、イスラム教徒とヒンズー教徒との対立はさらに激化した。

 オスマン帝国は、第一次世界大戦ではドイツ陣営で参戦。多くの領土を失った。トルコ革命でオスマン帝国は崩壊。ムスタファ=ケマル大統領を中心としたトルコ共和国が建国された。

世界恐慌とファシズム

 29年、世界恐慌が発生。イギリス・フランスはブロック経済という保護貿易政策を展開した。アメリカは、ニューディール政策を展開した。

 日本は、中国東北部の満洲経営でこれに対応しようとした。しかし、この行為によって国際社会から孤立した。ドイツは、ヒトラーが登場。巨額な賠償金を課したヴェルサイユ条約の破壊を進めた。

 これにより、イギリス VS ドイツの構図が復活。第二次世界大戦へ向っていく。

第二次世界大戦

 当初、イギリスは、ドイツをソ連に対する防波堤と見ていた。そのため、周辺諸国の併合を黙認していた。

 しかし、ドイツは、ソ連と不可侵条約を締結し、ポーランド分割を開始。イギリス・フランスは、ドイツの宣戦布告。第二次世界大戦が勃発した。

 ポーランド分割が終わると、ドイツはソ連へ侵攻した。ソ連は、イギリス・アメリカに支援を求めた。連合国の結成である。

 一方、日本は国際社会へ復帰するためにアメリカとの交渉をすすめていた。しかし、これが決裂。太平洋戦争が始まった。

 第二次世界大変は、ドイツ・日本陣営の敗戦で終結した。