近代⑥ 植民地化されるアジア

概要

17世紀、アジアには四大帝国が存在した。オスマン帝国(トルコ)、サファヴィー朝(イラン)、ムガル帝国(インド)と清王朝(中国)である。

 これらの国は、19世紀にヨーロッパ諸国の半植民地になっていった。

西アジア(トルコとイラン)

 オスマン帝国の衰退が鮮明になったのは、17世紀後半のことであった。第二次ウィーン包囲の失敗である。

 18世紀半ば、サウジアラビアの前身であるワッハーブ王国が成立した。

 18世紀末、ナポレオン(フランス)のエジプト遠征。エジプトの人々はナポレオンの影響を受けて、エジプトが独立に向かって動き始めた。それを指導したのは、ムハンマド=アリーである。19世紀前半に、事実上の独立を果たす。しかし、19世紀後半、財政難からイギリスの植民地になる。

 オスマン帝国は、19世紀に改革を行う。タンジマートである。19世紀後半には憲法を制定したが、すぐに停止した。

 イランでは、18世紀前半にサファヴィー朝が滅亡。18世紀末にカジャール朝が成立。19世紀半ばにはハーブ教徒の乱がおこる。

 中央アジアには、18世紀半ばからアフガン王国が独立を保っていた。ロシアやイギリス(英領インド)の侵攻を受け続けた。

インドと東南アジア

 17世紀から18世紀にかけて、インドでは地方勢力が力をつけてきた。17世紀前半、イギリスが商館を置く。17世紀後半になると、ルイ14世の時代のフランスが商館を置いた。当時のインドは綿布を輸出し、多くの金銀がインドに流入した。

 18世紀初頭に、ムガル帝国のアウラングゼーブ帝が亡くなる。この頃になると、地方勢力が争うようになった。そのような中で第二次英仏百戦争が行われた。

 18世紀半ば、英仏百年戦争はイギリスの勝利に終わった。イギリス(東インド会社)の収益源は、交易から徴税に代わっていった。18世紀後半、イギリスで産業革命が起こる。これにより、イギリスの輸出品は、綿布から綿花に変わった。

 18世紀半ば、インドで大反乱が発生。これによりムガル帝国は滅亡。18世紀後半、イギリス領インド帝国が成立する。

 東南アジアは、欧米諸国の植民地になった。

  • オランダ → インドネシアを植民地化
  • イギリス → ビルマ・マレーシア(マラッカ海峡)を植民地化
  • スペイン → フィリピンを植民地化
  • フランス → ベトナムなど半島東部を植民地化
  • タイは独立を保った。

東アジア(中国)

 清王朝の衰退は、18世紀末に始まった。四川省で起きた白蓮教徒の乱である。

 18世紀後半、イギリスやロシアなどが清王朝へ交易を求めるようになった。19世紀に入るとイギリスは、インド産アヘンの密貿易を始めた。これにより、銀が流出し始める。これが原因で19世紀半ばにアヘン戦争が起こった。

 19世紀半ば、アヘン戦争・アロー戦争でイギリスなどに敗北。開港させられ、不平等条約を結ばされた。一方中国南部では、太平天国の乱がおきた。19世紀後半、コレラの反省を受けて近代化政策が行われる。洋務運動である。

 19世紀末、日清戦争に敗北。中国分割が始まる。

 

タイトルとURLをコピーしました