世界恐慌は、1929年、ニューヨーク(株価大暴落)から始まった。1930年代シリーズ最終回は、アメリカ史を見ながら、世界恐慌を見ていきます。
繁栄の20年代
10年代の第一次世界大戦で世界の中心である。ヨーロッパは荒廃した。そこへ物資を供給していたのがあめこのりかであった。
金融面でも、アメリカの地位は向上した。10年代までは開拓資金のためにヨーロッパから莫大の借金をしていた。しかし、第一次世界大戦が勃発するとヨーロッパ諸国は国債を大量に発行した。これを買い入れたのがアメリカであった。子によりアメリカは債務国から債権国へ変わった。これにともない多くの金融マンがロンドンからニューヨークへ移り住んだ。金融の中心はニューヨークのウォール街となった。
映画文化が始まったのも、この20年代である。ちなみにミッキーマウスが映画デビューしたのは28年のことである。
ブラックサーズデー
しかし、20年代も終わりを迎えると、ヨーロッパの千三両も通常通りになった。これにより、物価が急速に低下した。とくに、農産物価格の下落は特に大きかった。そのためニューヨークの投資家は企業の倒産を懸念するようになった。
29年10月24日木曜日、株価が下がった。この時にニューヨークの投資家はパニックを起こし、株の投げ売りが始まった。これにより株価は大暴落した。
この株価大暴落は、瞬く間にアメリカ全土に伝わった。多くの市民が銀行へ殺到。預金の引き出しを行った。これにより多くの銀行が倒産。銀行からの資金引き上げで企業も倒産。街には失業者があふれた。これが金融恐慌である。
フーバー大統領は、預金封鎖を行い事態を収拾した。しかし、この時代、減税や公共事業で景気が回復するという考えた方は一般的ではなかった。フーバー大統領はただただ景気回復を祈ることしかしなかった。現在(2020年)のコロナウィルスへの対応と同じ状況であった。
民主党ローズヴェルト大統領
この不況下の32年の大統領選挙では共和党は敗戦。明死守等のF=ローズヴェルト大統領が当選した。F=ローズヴェルト大統領は、最新のケインズ経済学を採用した。
公共事業をバンバン行い、失業者を減らした。社会保障を充実させた。また、金本位制を停止し、金融緩和を行った。これらの制作によって、何とか景気は回復した。この後、1980年代のレーガノミクスまで公共事業で景気を回復させる考え方は一般的になっていく。
また、19年に始まった禁酒法は、33年に廃止された。
ヨーロッパからの資金引き上げ
20年代、ドーズ案で、アメリカからドイツへの投資が行われた。ドイツは、これを復興資金にするとともに、フランス・イギリスへの賠償金に充てられた。イギリス・フランスはこの賠償金で、投資を行うとともに国債の償還に使われた。この国債を保有していたのがアメリカであった。
しかし、世界恐慌が起こるとアメリカからの資金がストップした。これにより、世界恐慌はヨーロッパに波及した。これはアジアアフリカの植民地へも波及。世界的な恐慌となった。
ファシズムの台頭と善隣外交
世界恐慌によって、ナチスドイツなどのファシズム政権が台頭した。その中でアメリカが問題視していたのは満州事変であった。アジアアフリカ地域の大部分が英仏のブロック経済に入ると、アメリカの市場は急速に小さくなった。そのような中で注目したのが、中国市場である。
F=ローズヴェルト大統領は、イギリスともに上海の蒋介石の国民党を支援した。これにより、中国は日本軍が支援する満州国、ソ連が支援する毛沢東の共産党、英米が支援する蒋介石の国民党の3つ巴の戦いとなった。
31年9月の満州事変で、一番苦慮したのがイギリスである。アメリカと日本の争いを平和裏に終わらせる必要があった。32年2月、イギリスはリットン調査団を派遣した。リットン調査団の使命は満州事変を調査することではなく、日米関係の改善にあった。しかし、日本は引くに引けなくなった。同じ年の5月、海軍青年小国による犬養毅首相暗殺事件(五・一五事件)である。結果、日米和平は成立せず日本は国際連盟を脱退した。
日本やドイツが離脱した国際連盟は、新たな強国として33年ソ連を加盟させた。F=ローズヴェルト大統領も、翌34年にソ連を承認した。一方で、国内の野党共和党をなだめるために、35年に中立法を制定。アメリカはすべての国に対して武器輸出を行わないこととした。
F=ローズヴェルト大統領は、中米の外交政策も転換した。20年代の共和党政権は、軍事力による強硬外交を行っていた。しかし、F=ローズヴェルト大統領は、温和な政策に切り替えた。その一例は、中米キューバのプラット条項の廃止である。プラット条項は1900年代にキューバ憲法に入れた条項で、外交などでアメリカの干渉を認める条項である。F=ローズヴェルト大統領はプラット条項の廃止によって反米派の反政府運動を弱めようとした。
37年、日本軍が南京を陥落。蒋介石国民党は内陸部の重慶へ移動した。英米は、東南アジア経由で蒋介石重慶政府に物資を支援した。
40年代 第二次世界大戦へ
39年、第二次世界大戦が勃発した。アメリカは、35年中立法に基づいて、中立の立場をとっていた。同じ頃、アメリカは日中戦争講和のための交渉を行った。この交渉を優位に進めるため、イギリスを支援するようになる(大西洋憲章)。
41年12月、日米交渉が決裂。日米開戦に至った。
アニーの舞台
アニーの舞台は33年のニューヨークの孤児院である。当時のニューヨークは失業者があふれ、暗くなっていた。それを明るくしていくのが少女アニーである。ちなみに、アニーではF=ローズヴェルト大統領の前で歌うシーンがある。
コメント