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アメリカ史

1860年代のアメリカ 南北戦争とリンカン大統領

60年代、アメリカ史上最大の戦争が起きた。南北戦争である。

南北戦争の影響

 南北戦争は、北軍の勝利によって終結した。南北戦争はその後のアメリカに大きな影響を与えた。

奴隷解放宣言

 南北戦争は、もともと北部の綿工業者が南部の綿花を独占したいということで始まった。しかし、それでは北軍を味方するものは現れない。そのため、リンカン大統領は、南北戦争の大義名分として奴隷解放宣言を出した。

 南北戦争が終結すると、憲法を改正し奴隷を禁止した。ちなみに、イギリスは30年代に奴隷制を禁止している。また、解放黒人には投票権が与えられた。

 しかし、黒人は政治的に自由を手に入れた。しかし、仕事はなかった。黒人は、白人地主から土地を借りて生活をした。そのため、高額な小作料を負い、生活は困窮した。

 一方、元南軍の兵士など白人の一部は、秘密結社KKK(クー=クラックス=クラン)を結成。非合法な手段で黒人の迫害を行った。

ホームステッド法

 リンカン大統領は、西部の人々を味方につけるため、ある法律を作った。それがホームステッド法である。これは、自営農民に無償で土地を与える法律である。これにより、西部への入植は加速した。また、この法律によって西部には共和党の支持基盤となった。

 また、69年に念願であった大陸横断鉄道が開通した。

ヨーロッパへの影響

 ヨーロッパでは、アメリカ産綿花の流入が止まった。そのため、綿花の価格が高騰した。ヨーロッパの国々は、新たな綿花市場を求めた。イギリスは、綿花の産地であるインド経営に注力するようになる。また、ロシアも綿花産地である中央アジアへ進出していった。

 また、北軍の勝利によってアメリカ市場は、アメリカ企業に独占されるようになった。そのため、70年代に入るとヨーロッパは不況になった。これがきっかけになってヨーロッパ各国は帝国主義政策を進めるようになった。また、不況は多くの失業者を出した。これにより、社会主義勢力が台頭した。

南北戦争とは

 共和党リンカン大統領が誕生すると、南部10州がアメリカ含羞国からの離脱を表明した。彼らは、アメリカ連合国と名乗った。これにより、南北戦争が始まった。

 経済力では、北軍が有利であった。しかし、当初は南軍優勢で始まった。その理由はリー将軍など有能な軍人がそろっていた。また、イギリスなどが支援した。

 リンカン大統領は、この状況を打開するため、奴隷解放宣言やホームステッド法を出した。これにより、内外の世論がリンカン大統領率いる北軍を支持した。これにより、北軍が優勢になった。63年のゲティスバーグの戦いで北軍の勝利した。

 64年大統領選挙で、リンカン大統領は再選を果たした。65年4月9日、南軍のリー将軍が降伏。南北戦争が終結した。しかし、その5日後、リンカン大統領は暗殺された。

 余談だが、リンカン大統領が大統領教に勝った60年から100年後に大統領になったのが民主党のケネディ大統領である。ケネディ大統領もまた暗殺された。

リンカン大統領

 建国当初のアメリカは、北部と南部が対立を続けた。それが頂点に達したのが50年代のカンザスネブラスカ法である。

 北部の商工業者は、新しい政党を作った。共和党である。60年の大統領選挙で民主党が分裂。そこで誕生したのが共和党のリンカン大統領である。

作成者: sekaishiotaku

初めまして、sekaishiotakuです。世界史好きの一般会社員です。よろしくお願いいたします。

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