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アメリカ史

1960年代のアメリカ ケネディ大統領とキューバ危機

 60年代は、キューバ危機で始まった。核戦争寸前までいったキューバ危機は平和裏に終結した。これにより米ソ関係は再び改善した。

 しかし、アメリカは徐々に衰退傾向になった。ベトナム戦争はそれに拍車をかけた。一方で、公民権法を制定。黒人差別問題はさらに解決した。政治面では、民主党政権が続いた。若きケネディ大統領の時代である。

民主党 ジョンソン大統領

ケネディ大統領暗殺

 63年11月、南部テキサス州で遊説中に、ケネディ大統領は暗殺された。その結果、副大統領のジョンソンが大統領の任を引き継いだ。

 この日、NHK(日本)は世界初の衛星生中継の実験でケネディの遊説を中継していた。これは翌64年の東京オリンピックの世界同時生中継のためである。世界初の衛星生中継は成功したが、くしくも悲報を中継することとなった。

 実行犯のオズワルドはその場で逮捕されたが、わずか2日後に射殺された。公にはオズワルドの単独犯と発表されているが、現在でも様々な陰謀説が流れている。

公民権法制定(黒人差別問題)

 アメリカでは、黒人が差別されていた。特にかつて奴隷制度があった南部にその傾向が大きかった。この運動は50年代のバスボイコット事件を機に大きくなった。

 ケネディ大統領は、黒人差別問題を重要視していた。ジョンソン大統領はこれを引き継いだ。64年、公民権法を制定。黒人への選挙権と公共施設で差別を法律で禁止した。しかし、いまだなお黒人差別は残っている。

ベトナム戦争の泥沼化

 ベトナムは、50年代に終結したインドシナ戦争で南北に分断された。北部は、ホーチミン氏を中心とした共産党政権が成立した。一方南部には親米政権が成立した。

 南部の共産党系の反政府組織が誕生。内戦状態になった。59年、北ベトナムは反政府組織を支援した。一方、ケネディ大統領南ベトナム政府を軍事支援した。

 65年、ジョンソン大統領は北ベトナムの空爆を開始した。しかし、反政府組織のゲリラ戦に悩まされた。68年には反政府組織(共産党系)のほうが優位になった。多くの戦死者情報が報道されると、アメリカ内外でベトナム反戦運動が活発化した。そのため、この年から和平交渉に入った。この年は大統領選挙の年である。

 69年、大統領選挙に勝利したニクソン大統領は、ベトナムから撤兵した。

共和党 ニクソン大統領に敗北

 65年、対日貿易が黒字から赤字へ転落した。これによりアメリカ経済は冷え込んだ。

 ベトナム戦争で軍事費が増大した。さらに、不況の深刻化に対してジョンソン大統領は社会保障費の増大で対応した。これによりアメリカの財政は悪化した。

 不況、ベトナム戦争、財政赤字で民主党の支持率は下がり、68年の大統領選挙で民主党は共和党に敗北。ニクソン大統領が誕生した。

 

民主党 ケネディ大統領

アイルランド系アメリカ人

 60年、アイゼンハワー大統領の後任を争う大統領選挙が行われた。民主党のケネディ氏は共和党のニクソン氏を破り、大統領に就任した。

 ケネディ氏は、史上最年少43歳で大統領に就任した。60年の総選挙では初めてテレビ演説会が行われた。若いケネディ氏が、ニクソン候補を攻める姿は、国民の支持を集めた。

 ケネディ氏は、アイルランド系移民の一族で金融業で成功して大統領の地位に就いた。そのため、ケネディ氏はカトリック教徒である。アメリカは、イギリスで迫害を受けたピューリタン(プロテスタント)が建国した国である。アイルランド人は1840年代のじゃがいも飢饉のときにアメリカへ移民した。そのため、アイルランド人はアメリカでの地位は低かった。それでも、世界で最もアイルランド人がいるのはニュヨークである。ニュヨークでは世界最大のアイルランド人の祭りも開かれる。

キューバ危機

 59年、中米キューバでキューバ革命が発生した。革命の指導者は、カストロ議長である。カストロ議長は、社会主義国家を建設。アメリカ資本を追放した。アイゼンハワー前大統領は、キューバ革命の転覆計画を構想した。ケネディ大統領もこの計画を踏襲、計画を実行に移したが失敗した。

 ソ連のフルシチョフ書記長は、この事件を重く見た。フルシチョフ書記長は、キューバに核ミサイル基地建設を行おうとした。もし、これが完成されればアメリカ本土が核の恐怖に襲われることになる。ケネディ大統領はキューバの海上封鎖に踏み切った。ソ連とアメリカは核戦争直前までに至った。世界中の人びとは、広島長崎の原爆を見ていた。そしてこの世の終わりを実感していた。ケネディ大統領とフルシチョフ書記長は、世界の終わりをかけて電話会談を行った。ケネディ大統領は、キューバへの侵攻をしない代わりに、フルシチョフ書記長にミサイル基地の建設をやめさせることに成功した。

 キューバ危機の後、米ソの間にホットラインがひかれた。しかし、米ソの冷戦は終わらなかった。ベトナム戦争が始まったためである。一方で、中米ではニカラグアなど社会主義国が多く誕生した。

公民権運動(黒人差別撤廃運動)

 ケネディ大統領は、黒人差別の撤廃を公約に掲げて大統領選を戦い勝利した。これにより公民権運動は盛んになった。63年には、キング牧師がワシントン大行進を実施した。

作成者: sekaishiotaku

初めまして、sekaishiotakuです。世界史好きの一般会社員です。よろしくお願いいたします。

「1960年代のアメリカ ケネディ大統領とキューバ危機」への2件の返信

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