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日本史

自民党の歴史 3人の長老 vs 若手

長老 vs 若手

 多くの自民党総裁選は、派閥の論理で決まっていた。しかし、今回の選挙はこの様相が違っている。派閥が若手をコントロールできなくなっている。

 現在、自民党では、当選3回以下の議員を若手と呼んである。3回前の選挙は、2012年に政権を奪還したときのものである。つまり、逆風の中での選挙は今回(2021年)が初めてである。

 自民党の推計では、与党で過半数を維持するが、多くの議席を減らすとしている。中堅以上の地盤がしっかりしている議員は、当選後の閣僚人事を気にする。そのため、おそらく派閥に従っていくと思われる。しかし、若手は勝てる候補を探している。

 若手議員が求めているのは、2001年の総裁選である。当時の自民党は、森首相の発言で逆風が吹いていた。民主党政権への政権交代も現実味を持っていた。しかし、この選挙で小泉首相が誕生。自民党の支持率は急上昇した。

 若手議員は、派閥中心の密室政治が自民党を悪く見せていると考えている。前回(2000年)の総選挙は、派閥相乗りで菅総理が誕生した。そのため、長老に歯向かうことで自民党が改革していることをアピールしている。

3人の長老① 前首相の安倍氏

生い立ち

 安倍首相は、初の戦後生まれの総理であった。54年に東京都で生まれた。祖父が岸首相、父が安倍晋太郎という3世議員である。幼いころに安保闘争を経験している。

 成蹊大学を卒業後、神戸製鋼に就職。その後、父安倍晋太郎の秘書となった。91年総選挙で初当選。同期には、今回の総裁候補の岸田氏、高市氏がいる。ちなみに田中真紀子氏も銅器である。父と同じ、旧安倍派(現在の細田派)に所属している。

 00年の森首相時に官房副長官になった。03年、山崎氏がスキャンダルで失脚すると自民党幹事長に就いた。05年、小泉氏が優勢選挙で総理。安倍氏を後継に考え官房長官に就けた。

 06年、小泉首相の任期満了で総裁選が行われる。この時出馬したのが麻生氏と谷垣氏(現在の岸田派)である。小泉氏の後継ものとして圧倒的大差で勝利した。

 経済政策は、小泉首相時代のものを継承。教育改革などタカ派色の強い政策をとった。しかし、この時期、自民党の不祥事が相次いだ。07年の参院選に敗北。1年で退陣した。

 12年、谷垣氏の任期満了の総裁選で勝利。首相に返り咲いた。

3人の長老② 副総理の麻生氏

3人の長老③ 幹事長の二階氏

 二階幹事長は、戦時中の39年、和歌山県に生まれる。父は県議会議員の政治家の家系であった。

80年代 初当選、田中派に所属

 83年の中曽根政権時に初当選。同期は谷垣元総裁である。初当選時は最大派閥の田中派に所属した。二階氏は、親中派になる。

90年代 小沢氏とともに、自自公連立内閣へ

 93年に小沢幹事長とともに自民党を離党。新生党に参加する。その後新進党へ。新進党が回答すると、小沢氏とともに自由党に参加。98年の自自公連立に参加する。

00年代 自民党へ合流

 00年4月、小沢氏の連立離脱で、自由党が分裂。海部元首相らとともに自由党を離党し、保守党(のちの保守新党)を結成。連立政権に残留。7月の総選挙で保守党に大惨敗。このころ、保守党の野田氏の紹介で中曽根元首相と親交を深める。

 03年11月の総選挙でも、保守党は議席を減らす。その年に自民党に合流。二階グループを結束。05年の郵政解散で、活躍。厚い信頼を得て、復党組では異例の要職に追くことになる。

 09年の政権交代選挙で、二階グループは、当選が二階氏の身になった。そのため、同期の伊吹会長を頼って、伊吹派(元中曽根派)に所属した。

10年代 幹事長へ

 12年に自民党が与党に戻ると、会長の伊吹氏が衆議院議長に就任。二階氏は派閥の会長になる。

 16年、前幹事長の谷垣氏が自転車事故で入院。二階氏は自民党幹事長になる。

 

作成者: sekaishiotaku

初めまして、sekaishiotakuです。世界史好きの一般会社員です。よろしくお願いいたします。

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