20年代
21年総裁選
20年、安倍首相が体調不良を理由に退陣。翌21年の総裁選。安倍元首相は岸田候補を麻生副総理と一緒に推していた。しかし、岸田候補が森友学園問題の再調査に言及。安倍元首相は、急遽高市候補を擁立した。
安倍首相は何故退陣することになったのか?
では、なぜ安倍首相は任期途中で退陣したのであろうか。この時期、多くのスキャンダルが発覚した。森友学園問題や桜を見る会の問題である。森友学園問題は、国有地を相場よりも安い価格で、知り合いの森友学園に販売したという疑惑である。桜を見る会の問題は、桜を見る会の開催時に講演会の人たちの宿泊費等を一部負担した可能性があるといる疑惑である。
10年代
総務大臣 vs野田候補
14年改造内閣。高市候補は総務大臣に就任した。17年、安倍首相は都議選で小池都知事の都民ファーストの会に大敗。内閣改造を余儀なくされた。多様性を重んじて、安倍色の強い高市氏から安倍首相と考え方が遠い野田氏に総務大臣を後退させた。19年、再び高市氏が総務大臣に就任。20年、高市氏が総務大臣を退任した。
政権交代で党三役に
安倍総裁は、12年12月の衆院選に勝利。安倍政権が成立した。この時、高市候補は政調会長に就任した。
12年総裁選
12年総裁選。町村派(現、細田派)は分裂していた。12年の総選挙。町村派は候補者を一本化できず、安倍元首相と町村会長がともに出馬した。
町村氏は、体調不良で総裁選から離脱。町村派は安倍元首相に一歩ウンカした。
総裁選は、一位が無派閥の石破氏、二位が安倍元首相になった。しかし、決選投票になり、派閥を固めた安倍元首相が逆転。安倍総裁が成立した。
ただ、この総裁選で派閥批判が高まった。そのため、党員票の比率をさらに引き上げ、現在のルールになった。
安倍元首相vs町村会長
では、町村会長と安倍元首相は、なぜ対立していたのであろうか。それは10年の参議院幹事長選挙にあった。町村派など主流派の派閥は谷川氏でまとめていた。しかし、若手議員が反発。中曽根元首相の息子である中曽根氏を担ぎだした。これに安倍元首相ら町村派議員が同調。中曽根氏が勝利した。
ちなみに、この問題をきっかけに高市候補は町村派を離脱している。この問題があるため、細田派の一部議員は高市候補に否定的になっている。
00年代
00年代前半は、小泉政権の時代である。高市氏は、03年の衆院選で落選。05年の衆議院選挙(郵政選挙)。刺客として国替。国政に復帰した。
06年の安倍政権で初入閣。内閣府特命大臣として消費者問題を担当した。
しかし、07年の福田政権で経済産業副大臣に。この時、消費者問題担当を引き継いだのが野田候補であった。
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