河野候補と麻生氏、石破氏

20年代

副総理 麻生氏

 河野候補は、スター級の応援者が多い。そのため、2回に分けました。前回は、同郷の小泉氏と菅首相を扱いました。今回は、河野候補の派閥の長である麻生副総理と河野候補を支持する石破氏の歴史を見ていきます。

 河野候補は、麻生派に所属している。しかし、麻生氏は河野候補の出馬に否定的である。

 麻生氏は、菅政権でも副総理兼財務大臣を務めている。また、麻生派は現在自民党の第二派閥である。

安倍首相のライバル 石破氏

 石破氏は、現在要職についていない。20年の総裁選では、菅氏に敗北。想定に反して最下位に終わった。これにより、石破氏は求心力を失った。

 21年総裁選。二階幹事長は石破氏を完全バックアップをしようとしていた。しかし、前回の大敗に二の足を踏んでいた。そこに国民人気の高い河野候補が出馬。党員票が割れると踏んで出馬を取りやめ、河野支持に動いた。

10年代

18年総裁選

 安倍氏と石破氏の一騎打ちになった。主要派閥が安倍首相を支持たため、安倍氏の3選が決まった。しかし、党員票などで石破氏が肉薄した。

新麻生派

 12年総裁選、麻生派と山東派は共同して安倍政権成立に動いた。これをきっかけに合流に向けて交渉を開始した。

 そして、17年に合流。自民党第二派閥になった。

 山東派は、党人派の三木武夫氏が創設した派閥である。クリーンな印象のある派閥で、ロッキード事件時に三木首相を、リクルート事件時には海部首相を輩出した。

16年参議院選挙

 16年、参議院選挙直前の都知事選で自民党推薦候補を破り、無所属の小池都知事が誕生した。自民党の中では参院選を不安視するようになった。

 そのため、安倍政権は内閣改造に踏み切った。石破氏は農水大臣として入閣を要請したが、これを固辞した。

 この頃から、石破氏は安倍政権への批判的な発言が目立つようになった。安倍政権は、石破氏を中国地方のトップから外した。この一件から、石破派と細田派の対立が続いた。この対立は現在も続いていて今回の総裁選にも影響が出ている。

 その後、石破氏は石破派を正式に発足させた。

 2016年の総裁選では、山東派から、SPEEDの今井氏が出馬し、当選した。合流して麻生派に所属。岸田候補を支援している。

15年総裁選

石破氏は、安倍政権の支持率を理由に出馬を見合わせた。野田氏はこの総裁選に出馬を検討していた。しかし、出身派閥の山東派が麻生派との合流交渉中のため、推薦人を出さなかった。推薦人が集まらず出馬を断念した。これにより、安倍首相は無投票で再選された。

石破幹事長

 12年総裁選で逆転負けした石破氏は、幹事長に就任。12年衆院選、14年参院選を勝利に導いた。

 国会議員の増加で党員票の比率が低下。石破幹事長は党員票と国会議員票の比率を1対1になるように変更した。

 14年9月改造内閣。内閣府特命大臣(安全保障法制担当)を打診された。石破氏は、党幹事長への残留を希望したために固辞。党幹部の批判を受け、内閣府特命大臣(地方創生担当)に就任した。

 この頃、石破氏は、無派閥議員を集めて勉強会を発足した。事実上の石破派の結成と目され、15年総裁選への出馬が噂された。

12年総裁選 安倍総裁の誕生

 12年の総裁選は、谷垣総裁続投で決まるはずであった。しかし、旧山崎派の石原幹事長が出馬を表明。森氏など党の重鎮が石原幹事支持へ。勝算が低いとして、派閥のトップの古賀氏が谷垣総裁に出馬断念を促した。

総裁出馬断念で、総裁選は今回のような乱立状態になった。党員票に強い石破氏と町村派の町村会長が出馬を表明。石破元政調会長vs石原幹事長の戦いの様相になった。

ここで、若手の筆頭菅氏が動いた。安倍元総理を擁立したのである。安倍元首相は、町村会長の手前、固辞した。しかし、麻生派と高村派(後の山東派)の支援を確保。急遽出馬した。

 議員票が分裂。党員票に強い石破氏がトップになったが過半数を取れなかった。

  

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