3世紀の朝鮮半島 魏王朝と朝鮮半島

3世紀の東アジア情勢

 3世紀初頭、漢王朝が滅亡。中国大陸は370年にわたる分裂期を迎える。この時代を魏晋南北朝時代と呼ばれた。

楽浪郡

 漢王朝時代、朝鮮半島北部には楽浪郡が置かれ、漢王朝の支配下にあった。

 漢王朝が滅亡すると、中国大陸は群雄割拠の時代を迎えた。朝鮮半島北部は遼東半島を治めていた公孫一族が支配した。

 公孫一族は、曹操氏によって滅亡。三国時代の朝鮮半島北部は魏王朝の支配下に入った。その後、朝鮮半島北部の統治は晋王朝に引き継がれた。

帯方郡

 帯方郡は、ソウルから開城(ケソン)までの朝鮮半島東部の地域を指す。帯方郡は、公孫一族の時代に楽浪郡から分離して誕生した。

 魏王朝の時代には、倭(日本)から卑弥呼が朝貢におとずれた。魏王朝は、高句麗をけん制する関係で卑弥呼の使いを厚遇した。このことは、魏志倭人伝に記されている。

高句麗

 高句麗は、紀元前1世紀に建国したとされている。しかし、中国の歴史書に記載が出てきたのは3世紀初頭のことである。この時期、遼東半島の公孫一族と戦った。

 公孫一族との戦いにそなえて、高句麗は満州に山城を建てた。この城は丸都城と呼ばれ、5世紀に平壌に都を移すまで高句麗の都となった。

朝鮮半島南部

 朝鮮半島南部は、小国が乱立していた、これらの小国は3つン地域に分かれていた。西から、馬韓、弁韓、辰韓と呼ばれていた。これらの小国は、楽浪郡や帯方郡を通じて中国王朝(漢王朝、魏王朝、晋王朝)の支配を受けた。一方で、倭(日本)とも交流があった。 

 当時の韓国の様子は、魏志倭人伝も含まれる魏志に描かれている。