1870年代のエジプト
エジプト王国は、19世紀初頭のエジプト=トルコ戦争でオスマン帝国から独立。1950年代のナセル大統領のエジプト革命で崩壊した。
エジプト王国は、大きく3つの時代に分けてみることができる。ムハンマド=アリーの時代。イギリスの植民地時代。そして、ワフド党を中心とした自治権拡大の時代である。
1880年代編から、ムハンマド=アリー朝の時代を見ています。前回の1870年代編では、イギリスのスエズ運河買収劇を見ていきました。
さて、今回はそのスエズ運河の完成の様子を見ていきます。
スエズ運河完成
69年、10年の歳月をかけてスエズ運河が完成した。スエズ運河は地中海とインド洋を結ぶ運河である。それまでは、喜望峰を回るか、陸路でしかインド洋へ出ることができなかった。しかし、スエズ運河の完成でアジアへのアクセスは大幅に短縮された。
スエズ運河は、古代エジプトにも存在した。この時は、地中海ではなくナイル川を紅海を結んで建設された。しかし、古代のエジプト王国の崩壊後、運河は風化していった。
スエズ運河は、59年にフランスとエジプトの共同出資したスエズ運河株式会社が建設した。この中心人物はレセップスである。
このとき、イギリスは出資しなかった。その理由は、スエズ運河の建設が不可能と判断したためである。
フランスは、今回の計画の前に2回、スエズ運河建設を検討していた。1回目は17世紀後半のルイ14世の時代である。ドイツ人科学者ライプニッツが提案している。2回目は、19世紀初頭のナポレオンのエジプト遠征期である。この2つの研究結果からフランスはスエズ運河の建設は可能と判断した。
南北戦争と綿花バブル
エジプト王国の経済
エジプトの主要な輸出品は、綿花と小麦である。とくに19世紀に産業革命が進むと世界的に綿花の需要も高まっていた。
南北戦争
綿花の重要の供給地はアメリカ南部であった。そんなアメリカで61年南北戦争が勃発した。これにより、綿花の価格が高騰した。
これにより、エジプト経済は潤った。これらの資金は、スエズ運河建設や鉄道の建設。軍隊の近代化などに使われた。