9世紀のエジプト
9世紀のエジプトは、ハールーン=アッラシードのアッバース朝全盛期から始まった。後継者争いからイスラム王朝は分裂していった。
今回は、14世紀のマムルーク朝を見ていきます。前半では、マムルーク朝の衰退要因となったペスト(黒死病)について見ていきます。後半では、カイロに来訪したマリ王国の国王について見ていきます。
アッバース朝の全盛期
8世紀半ばに成立したアッバース朝は、タラス河畔の戦いで唐王朝に勝利。イスラム勢力は中央アジアに拡大した。古代の中東(オリエント)最大の都市クテンシフォン(イラク)のちかくにバグダードを建設した。
アッバース朝の繁栄の結果、バクダードは8世紀末には100万人以上の人が生活する世界最大の都市になった。
8世紀末、ハールーン=アッラシードが即位した。
アッバース革命
アッバース革命とは
8世紀半ば、アッバース家がウマイヤ朝を倒して、アッバース朝を開いた革命である。
アッバース朝とは
アッバース朝は、8世紀から13世紀まで続いたイスラム王朝である。アッバース朝は、代々カリフを世襲した。都はイラクのバグダードに置かれた。全盛期は、8世紀末のハールーン=アッラシードの時代である。
ウマイヤ朝
ウマイヤ朝は、7世紀半ばに成立したイスラム王朝である。都はシリアのダマスカスに置いた。
7世紀に北アフリカを制圧。モロッコまで国土を拡張した。
8世紀に入り、スペイン(西ゴード王国)を征服。その後、フランス(フランク王国)へ侵入。しかし、トゥール=ポワティエ間の戦いで宰相カールマルテルに撃退。フランスに領土を持つことはできなかった。
ウマイヤ朝は、アッバース革命で滅亡。その後、その残党がスペインで後ウマイヤ朝を開いた。