復習 6世紀の東南アジア
6世紀、カンボジアの内陸部に真臘(しんろう)が成立。港市国家から領域国家への転換点になった。今回から、領域国家ができる前の東南アジアの歴史を見ていきます。
5世紀の国際情勢
5世紀(401年〜500年)、日本は古墳時代。この時代のことはあまり良くわかっていない。
5世紀は戦乱の時代である。中国では魏晋南北朝の戦乱期であり、ヨーロッパではゲルマン民族によって西ローマ帝国が滅亡した。
インド化する東南アジア
インド化する東南アジア
東南アジアの古都は、インド風の様子のものが多い。それは、3世紀から5世紀にかけての東南アジアのインド化がある。当時の東南アジア近郊の大国はインドと中国であり、多くの国がインドと交流していた。その特徴は以下のとおりである。
- サンスクリット語
- 仏教(大乗仏教、上座部仏教)とヒンドゥー教
- インド風の王権、政治、神話
インド)グプタ朝の戦乱期
5世紀のインドは、グプタ朝の時代である。グプタ朝は、4世紀から5世紀初頭に全盛期を迎える。これにより、東南アジア各国がインド化していく。
中国)魏晋南北朝の戦乱期
一方、中国は魏晋南北朝の戦乱期。東南アジアと交流する余裕は殆どなかった。これにより、東南アジアのインド化する。
港市国家
北ベトナム
当時の東南アジアの国家は都市国家である。これらの都市国家は、インドと中国の中継貿易と外国と内陸部の中継貿易で栄えた。そのため、河口付近に国家が形成されていく。
その代表例が、中部ベトナムのチャンパーとカンボジアの扶南(ふなん)である。