1960年代のシリア・パレスチナ
1960年代のパレスチナは、第3次中東戦争でイスラエルが勝利。イスラエルの領土は拡大。多くのパレスチナ難民が誕生した。
シリアは、エジプトから分離。第3次中東戦争に敗北するとアサド(父)政権が成立した。
1950年代の国際情勢
1950年代、日本はサンフランシスコ講和条約で主権を回復。自由民主党の成立により55年体制が成立した。
世界は、第三世界が台頭する時代。その始まりは朝鮮戦争である。その後、エジプトが第2次中東戦争に勝利。60年のアフリカの年につながる。
アラブ連合共和国
アラブ連合共和国
シリアのバース党政権が成立すると、ある人物に頼った。第2次中東戦争に勝利したエジプトのナセル大統領である。58年2月、シリアはエジプトに合流。アラブ連合共和国を建国した。
周辺国の反応
第2次中東戦争後、英仏の影響力は低下した。かわりに台頭したのがソ連であ。アメリカはソ連とエジプトの接近を警戒した。
アラブ連合共和国を警戒した勢力は中東にもあった。王国である。ハーシム家のイラクとヨルダン、サウード家のサウジアラビアである。
レバノン暴動
アラブ連合共和国の成立により、中東のアラブ人は勇気を得た。最初に飛び火したのがレバノンである。
レバノンは、シリアと同じフランスの植民地であったが、キリスト教徒が多い地域を分離して独立した。多数派のキリスト教徒マロン派)と少数派のイスラム教徒で構成されていた。
58年5月、レバノンでイスラム教徒が蜂起。キリスト教徒の政府軍とイスラム教徒の反政府軍の内戦になった。
58年7月、イラク革命が発生。王政が停止。親ソ系のバース党政権が成立した。
中東のソ連化を恐れたアメリカは、レバノンに軍隊を派遣。レバノン暴動を鎮圧した。
終焉
アラブ連合共和国は、エジプト人が中心の政権であった。それに不満を持つ人が多かった。61年、クーデターで反バース党政権が成立すると、シリアはアラブ連合共和国から離脱した。
第2次中東戦争でイスラエルが敗北
第2次中東戦争
エジプトのスエズ運河国有化宣言をきっかけに56年6月、第2次中東戦争が勃発した。イギリス、フランスとイスラエルの連合軍がエジプトに侵攻した。
戦争は、イスラエル側が優勢で進んでいた。しかし、50年代は第3世界が台頭した時代である。中国などの第三世界は、エジプトに対して同情的になっていた。
そのような中でソ連のフルシチョフ書記長が停戦を要求。11月に大統領選挙を控えるアメリカのアイゼンハワー大統領もこれに同調。
イギリス、フランスとイスラエルは撤兵。第2次中東戦争は終結した。
METO
エジプトのナセル政権やシリアのバース党政権など、中東にソ連に近づこうとする政権が誕生した。アメリカはこれに恐怖を覚えた。
アメリカは、中東に反共産主義の軍事同盟を結成した。これがMETOである。第2次中東戦争の前年の55年2月に成立した。