12世紀のシリア・パレスチナ 十字軍国家のシリア進出

前回の復習 13世紀のシリア・パレスチナ

 13世紀、シリア・パレスチナは、周辺国の影響を受けていた。東からはモンゴル帝国が、西からはエジプトが脅威を与えたいた。さらに十字軍が拠点を築いていた。

 13世紀末、エジプトがアッコン陥落。十字軍国家は一掃された。

12世紀の国際情勢

 12世紀(1101年ー1200年)の日本は、平安時代。摂関政治が終わり、院政が始まる。平清盛の時代を経て、85年に源頼朝が鎌倉幕府を開く。

 中国は、北は女真族(のちの満州族)の金王朝が存在。南には、宋王朝が存在する。

 ヨーロッパでは、十字軍の遠征がおこなれていた。

十字軍国家

十字軍国家

 11世紀末に第1回十字軍遠征。イェルサレムを征服した。このときに成立したのがイェルサレム王国である。これ以外に、エデッサ伯国、アンティオキア公国、トリポリ伯国が建国した。

第2回十字軍

 44年、トルコ人国家のザンジー朝がエデッサ伯国を征服。47年、ドイツ・フランス連合軍が十字軍として、シリアへ向かった。第2回十字軍である。この十字軍には、ノルマン系の両シチリア王国も参加した。テンプル騎士団が結成されたのもこのときである。

 ただ、十字軍は意思統一ができずに敗退した。

第3回十字軍

 87年、サラディンがイェルサレムを征服。フランス・ドイツ・イングランドの3カ国連合軍で十字軍を編成。シリアへ侵攻した。第3回十字軍である。

 ドイツは、皇帝が事故死。早々に撤退した。フランスも、イングランド対立して帰国。最終的にはイングランド対サラディンの構図になった。

 92年、イングランド国王リチャード1世とサラディンが講和した。講和条件は、以下の通りである。

 十字軍国家は、アッコン周辺の沿岸部のみとされ、イェルサレムなどは、サラディンの統治下に置かれた。一方で、サラディンの通行証があれば、観光客としてイェルサレムを訪問することは可能であった。

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