復習 2世紀の東南アジア
2世紀、東西に大帝国の時代。漢王朝とローマ帝国の交易で多くの国が栄えた。東南アジアも例外ではなかった。海のシルクロードの一角として大いに栄えた。その代表例がカンボジアの港町オケオである。
また、漢王朝の勢いは強く、ベトナム中部まで支配していた。
1世紀の国際情勢
1世紀(AD1年〜100年)、日本は弥生時代。
漢王朝は、一時滅亡していた。しかし、光武帝の活躍により漢王朝は再興。最盛期を迎えていく。
ヨーロッパでは、ローマ帝国が始まる。暴君ネロ帝の時代を経て五賢帝の全盛期に入る。キリスト教が成立したのもこの時代である。
ベトナムの独立運動
漢王朝の再征服
徴姉妹の反乱は、44年に鎮圧された。
その後、ベトナムは漢王朝の重税と労役、同化政策に苦しめられた。そのため、ベトナム人の反乱は頻発した。
一方で、漢王朝の技術が流入することで、産業が大いに栄えた。
徴姉妹の反乱
40年、土着のベトナムが反乱を起こした。この反乱は徴姉妹(チュン姉妹)の反乱という。
タイミングは最悪であった。当時の漢王朝は光武帝の全盛期である。光武帝は、ベトナムに軍隊を派兵し、反乱は鎮圧した。しかし、なれない土地で戦闘で軍隊の半分は病死した。
紀元前1世紀のベトナム
ベトナムは、紀元前2世紀末に漢王朝に組み込まれた。香港周辺の広東などとともに広州のとして統治された。