復習 15世紀の東南アジア
15世紀は明で永楽帝が即位。ベトナムは陳朝から黎朝にかわる。マレーシアでは、イスラム教国のマラッカ王国が栄える。これにより、イスラム商人がジャワ島に拠点を置くようになる。
14世紀の国際情勢
日本は、鎌倉末期から室町幕府初期。南北朝時代である。この時代は、モンゴル勢力が衰退する時代である。中国では、元王朝から明王朝に変わる。イランでは、イル=ハン国からティムール朝に変わる。ヨーロッパでは、ペストが流行。更に百年戦争が始まる。
ジャワ島)マジャパヒト王国
マジャパヒト王国とは
マジャパヒト王国は、13世紀末に成立したジャワ島の王朝である。ジャワ島東部に拠点を置き、ヒンドゥー教を信仰していた。
内紛
14世紀末のマジャパヒト王国は内紛の時代である。マラッカ王国が成立したのもこの時期である。
この内紛で、マジャパヒト王国は衰退。明王朝への朝貢も途絶える。15世紀に入ると沿岸部はイスラム勢力に奪われ、一地方政権に没落。16世紀、新マラタム王国によって滅んだ。
15世紀に入ると沿岸部はイスラム勢力に奪われ、一地方政権に没落。16世紀、新マラタム王国によって滅んだ。
全盛期
50年、ハヤム=ウルク王が即位。この時期にマジャパヒト王国は全盛期を迎える。70年からは、建国されたばかりの明王朝に朝貢を開始した。
89年に、ハヤム=ウルク王が亡くなる。これにより、マジャパヒト王国は内紛が勃発。明王朝へ朝貢も途絶える。
スマトラ島
13世紀、スマトラ島にはシュリーヴィジャヤ王国があった。シュリーヴィジャヤ王国は7世紀に成立したマレー人の王朝である。大乗仏教を信仰していた。
この時代のシュリーヴィジャヤ王国はかなり衰退しており、タイ(スコータイ)の属国とされていたとも言われている。また、13世紀後半には、ジャワ島のシンガサリ王国がスマトラ島南部を征服した。
ハヤム=ウルク王は、シュリーヴィジャヤ王国へ侵攻。スマトラ島の大部分を征服した。シュリーヴィジャヤ王国の残党はマラッカ島へ亡命。これがのちのマラッカ王国になる。
建国
マジャパヒト王国が成立したのは、13世紀末である。マジャパヒト王国の前王朝は、シンガサリ朝である。シンガサリ朝は、13世紀後半のモンゴル侵攻を撃退するも、その後衰退した。ここで成立したのがジンガサリ朝の分家であるマジャパヒト王国であった。
文化)ワヤン=グリ
マジャパヒト王国の時代は、ヒンドゥー教文化の全盛期でもある。その代表が現在のインドネシアの民俗芸能ワヤン=グリである。
ワヤン=グリは、影絵芝居である。その作品の題材には、インドのサンスクリット文学が使われる事が多い。その代表例がインドの2大叙事詩『ラーアーヤナ』『マハーバーラタ』である。
バリ島
現在のインドネシアの宗教は、イスラム教である。そのため、マジャパヒト王国以前のヒンドゥー教文化がほとんどのみられなくなった。
しかし、当時の文化を今に残す地域がある。これが、インドネシア最大のマリンリゾートであるバリ島である。有名なバリ舞踊は、ヒンドゥー教文化がベースになっている。