1900年代の東南アジア 日露戦争とトンズー運動

前回の復習 1910年代の東南アジア

 1910年代は第一次世界大戦の時代である。第一次世界大戦をきっかけに独立運動が活発化した。その時のキーワードが「民族自決」である。

日露戦争と東遊運動(ベトナム)

トンズー(東遊)運動

 トンズー運動とは、ベトナムの独立運動の1つで、日本の支援を受けて独立しようとする運動である。

 当時のベトナムは、フランスの植民地であった。04年、ベトナムの独立運動家ファン=ポイ=チャウは、維新会を結成した。05年、日本が日露戦争に勝利した。これを受けて、維新会は日本への留学運動を展開した。

日露戦争

 90年代に清王朝は日清戦争に敗北。ヨーロッパ各国による中国分割が始まった。そのような中で、朝鮮半島をめぐり日本とロシアが対立するようになった。

 ロシアは、フランスの支援をうけてシベリア鉄道の建設を勧めていた。日本はこれを危険視した。そのため、日本はイギリスと日英同盟を結成した。

 日本とロシアは、戦争回避で交渉を重ねたが決裂。日露戦争が勃発。05年、日本はロシアに勝利した。

 日本の勝利は

なぜ日本?

日本とフランスの対応

 63年11月、ケネディ大統領が暗殺。副大統領のジョンソン氏が大統領に就任した。

 64年8月、トンキン湾でアメリカ海軍が北ベトナムの行来攻撃を受ける。(トンキン湾事件)これをうけて、アメリカ議会は北ベトナムへの宣戦布告を決議。

 65年、ジョンソン大統領は北爆を開始。

南ベトナムで親米政権崩壊

 60年大統領選に勝利した民主党のケネディ大統領は、積極的に南ベトナム政府を軍事支援した。

 63年11月、軍部によるクーデター。アメリカ軍はこれを黙認した。アメリカは政権交代で反政府組織(南ベトナム解放戦線)との和平の道を探った。しかし、内戦は収まらなかった。

南ベトナム解放戦線

 60年、南ベトナムの社会主義勢力である南ベトナム解放戦線が挙兵した。これを支援したのは、北ベトナムのホーチ=ミン政権である。南ベトナムの社会主義革命が、ベトナム戦争の始まりである。

ベトナム戦争以前のベトナム

 ベトナム戦争以前のベトナムはどのようになっていただろうか。

 ベトナムは、南北で2つの国家に分かれていた。ホーチ=ミンらベトナム共産党が統治する北ベトナムとアメリカの支援を受けている南ベトナムである。

 ベトナム戦争は、南ベトナムの内戦から始まる。

フィリピンに議会が成立

フィリピンの議会

 07年、アメリカは、フィリピンに議会を設置。内政面での自治を認めた。

アメリカの植民地政策

 アメリカは、90年代のアメリカ=スペイン戦争で、フィリピンを植民地にした。

桂タフト協定

 05年5月、日本海軍が日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を壊滅。これにより、日本が優勢になった。

 同05年7月、アメリカは日本と桂=タフト協定を締結。あめりかのフィリピンの植民地化と日本の韓国の植民地化を相互承認した。

 09月、仲介国のアメリカは、ロシアにポーツマス条約で日本の韓国の植民地化を認めさせた。

タイ国王 ラーマ5世崩御

ラーマ5世の時代

 この頃のタイは、現在までラタナコーシン朝の時代である。10年、ラーマ5世が崩御。ラーマ6世が即位した。

 ラーマ5世の時代、多くの領土をフランスに奪われたが、イギリスとフランスからの独立を維持した。

ラーマ5世の改革

 ラーマ5世は、独立を維持するために近代化政策を進めた。この改革はチャクリ改革と呼ばれる。一方で、イギリスフランスからの独立を維持するため、鉄道敷設はドイツの支援を仰いだ。

英仏協商

 90年代、イギリスとフランスは英仏宣言で東南アジアの互いの勢力圏を相互に承認した。このときに、タイの独立もこのときに約束された。

 その後、アフリカでファショダ事件や南アフリカ戦争が勃発。英仏の強調ムードが高まった。

 02年、南アフリカ戦争で疲弊したイギリスは、日本と日英同盟を締結。その後、日本とロシアが朝鮮半島の統治をめぐり対立。日露戦争が不可避な状況にあった。

 日本の同盟国イギリスとロシアの同盟国フランスは、04年に英仏協商を締結。日露戦争への中立を表明。このとき、東南アジアを含む互いの植民地を再度承認した。このあと、日露戦争が始まった。

明治天皇を同時代を生きる国王

 ラーマ5世が即位したのは、68年である。この年は明治元年である。ラーマ5世の時代は、明治天皇の在位と重なる。両国は、植民地化の危機を乗り越えるために近代化政策を急ピッチで進めた。

アチェ戦争(インドネシア)

 この頃、ジャワ島を植民地にしていたオランダは、アチェ王国を征服した。70年代から始まったアチェ戦争である。

 アチェ王国は、スマトラ島北部のイスラム教の王朝である。15世紀末に成立した。

 アチェ戦争では、多くのジャワ人が参加。そのため、アチェの人々は、オランダやジャワ島の人々に反感を持っている。それが2000年代のアチェ紛争につながる。